本当は、カラヤンの「バカでもわかる価値」が「誰にでも理解できる」のではなくて、
理解できると思っている「大衆的」な認識が「バカ」なだけではないのでしょうか?
理解した気になるのは「バカ」でもできるでしょうが、それを表明するのは痛いです。