二流指揮者カラヤンを今こそきちっと葬るスレ
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0120Klaus Schlegel User
2008/06/23(月) 17:45:51ID:K4yn1bHb「外面的で中身がない演奏」と判断する根拠はなんですか?
どの交響曲の、どの部分が、どうだから「外面的で中身がない」のでしょうか?
自分の言葉で具体的に説明できなければ、有名人の名前を出しても根拠になりません。
同じ論法を使えば、カルロス・クライバーはカラヤンの演奏を大絶賛(崇拝と言っていた)しています。
R.シュトラウスもシベリウスもショスタコーヴィチも、自作の演奏について高い評価を与えています。
これらの事実は、カラヤンの評価について「宇野先生」と真っ向から衝突していますが、どちらが優位でしょうか?
もっとも、この論法で反論したところで再反論の余地が常にあり、結局は水掛け論でしかないと思いませんか?
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています