シンフォニーは、独墺史観に毒された人々が思っているような
絶対音楽の頂点として作曲されるジャンルじゃなかったんだよ、当時はまだ
機会音楽は現代では軽視されるが、日々作曲活動が忙しい当時の作曲家は
「絶対確実に演奏される」機会音楽の方に力を入れて作曲した
ザルツブルグ時代のモーツァルトとかのセレナードとシンフォニーを比べてごらん?
圧倒的にセレナードのほうが凝ったつくりになっていて、力を入れていたことが分かる

また、シンフォニーと室内楽ではそもそも目的がまったく異なる
シンフォニーは、宮廷などでの鑑賞音楽、室内楽は、貴族や上流階級が
実際に演奏して楽しむ実用音楽だった

今日的視点では実用音楽を蔑視したい気持ちは分かるが、
「絶対確実に演奏される」というのは当時の作曲家にとって格別のモチベーション
ハイドンのバリトントリオを聴いてごらん?
ろくに聴きもせずにやっつけ仕事みたいに言う評論家が多いが、
さまざまな実験的要素をそこで試している様子が分かって面白い
いわば「内輪」だけで完結する音楽だからこそ、普段出来ないことができた
バリトン八重奏も、エステルハージ公との内輪のディヴェルティメントだからこそ
イ短調でホルンを使ってみようという気になったともいえるかもしれない

俺はシンフォニー神聖視はしないけど、上記のようなことから、
シンフォニーでイ短調が無くてバリトン八重奏にイ短調があるのは
ジャンルの目的の違いじゃないか?という視点からこんなことを述べてみました