<ブルックナーは,ベルリンを「われらの偉大な祖国の首都」と呼んだりしたそうな。>
晩年(1890年代)に2回ベルリンへ行っている。
その時のリップサーヴィス的な発言だろうね。

<ブルックナーは、民族主義的な合唱曲を書いた>
とにかく、ヘルゴラントの顛末は我が国の領土問題(3か所の島々)を考えるうえで、1つの歴史的現実として頭に留めておく必要があるというものだ。