宇野氏が何を言ったかは知らないが、コーダが弱いといっても、見るべき点は決して長さではないってこと
だったら宇野氏には、
「ベト5(運命)終楽章のコーダのみをエンドレスループに編集して、飽きるまで聴くといいのでは…?ww」
と言いたくもなる

このコーダは、第一主題から導入されて始まる
ド♯レ♯ミファ♯シ(トランペット)の単純かつ印象的なメロディーを伴った曲最後のドミナントコードB7(ベース音コンバス&チェロの主音ミ上で、トニカコード的性格が強い)が、大団円のトニカ(E)に解決する構成
簡潔にスッキリ、一気に盛り上がるが、決して無理がなく、無駄もない
ベース音にミの保続低音をおき、無闇に冗長にしていないのが、むしろ効果的ですらある

技巧臭がするしないは、感じ方や作曲技術に関する認識などにより個人差があるもので、またそもそも交響曲という分野自体が、技巧臭が感じられてしまいがちなスタイルだとは思う

また、曲全体のひとつのクライマックスとされる第2楽章だが、これが緩徐楽章であること
それに対して、特にこのフィナーレは特に第一主題の箇所における快活な動きを主体に構成されていること
この二点には、留意すべきではないだろうか?

多少なりとも専門分野で勉強している人たちとはいえ、音楽評論家の見解に振り回されるのもどうかとは思う
>>561でも触れたが、少なくとも自分には、このフィナーレの、コーダに至るまでの過程ももちろんだが、特にコーダは素晴らしいと感じる

※もちろん、自分のこの見解に振り回される必要もないし、同意するのも自由