ドイツぽくないことが、なんでどのようにグロテスクになるのか、その感覚が良くわからんが、
個人的には、本来の北方ドイツ系サウンドにこそ
持ち味としてのグロテスク性を備えてしかるべきな気がするし、
そこがあっかるい南方のバイエルンやウィーンと違うところだと思う。
だからアバドやラトルが、その持ち味を軽く明るく洗練させてしまって
気に入らないって言うのなら分かる。
カラヤンの凝り性や美学は、そういう意味ではまさにドイツロマン主義的グロテスクの極みだった。