例えば、楽譜に

「自己主張には関心が無い、 曲自体の魅力を伝えたい」

と書いてあったとする。これを、才能の無い二流奏者が、変な親切心を出して「わかりやすく」聞かせようとすると、

「自己主張をしないことが曲自体の魅力を伝えることになる 」

みたいな、全然違った内容の音楽になって聴衆に届いてしまいかねない。そのような事態に陥らないように、演奏者の勝手な解釈を付け加えることなく、曲自体に魅力をストレートに届けることに専念する。それがハーンの演奏哲学ってことだと思う。

才能の無い演奏家が、あれこれ頭で考えてそれらしく表情を付けても、単なる自己満足に終わってしまい、本人は陶酔しているが客席は白けている。自己主張に夢中になって、「、」を打つことすら出来ない文章みたいな演奏に終わってしまうのがオチ。

ハーンは一見なんの変哲も無いような演奏でありながら、染み込むように自然に曲の魅力が伝わってくる、哀しいほどの才能の差を感じる(個人的感想ね)。

このレスの冒頭の一文をあえて言い換えるならば、「聴く人に良い演奏だったと思われる演奏がしたいんではない、良い曲だったと思われる演奏がしたい」
ということになるんじゃない?