いや、おいらも伝統主義者と改革主義者なんて二分法をやっている気はないんだよ。

ベルリン・フィルの「音楽監督」なわけだから、コンサートの新しいスタイルを
切り開くような企画能力は無視できない要素じゃないかと思うわけ。

ポスト・カラヤンのときは、ウィーン国立歌劇場総監督だったマゼール、アバドが
候補になって、結局アバドに白羽の矢が立てられたのは、ウィーン・モデルンが
大きかったんじゃないの、というのはそういう観点から。
マゼールだって世界初演はけっこうやっていたからね。