>>118のつづき。

さて、その仏師「運慶」です。
じっさいの運慶は、けっして禅宗的な人物であった訳でありません。
彼が属した慶派は、南都=奈良の興福寺(藤原氏の寺です)に本拠を置きました。

慶派は当然に、定朝の彫刻様式に基本を置きましたが、
運慶の父・康慶あたりから独自のスタイルを打出したようです。
革命的な天才児=運慶の登場は決定的でした。
彼は従来の古典的な、調和を尊ぶスタイル(いわば「何も足さない 何も引かない」の世界観)に、もっと生々しい、
肉体の躍動感や力強さを持込みました。
筋肉が隆起し、身体の軸はねじれ、静的なバランスは崩れ歪んだ。

彼は表現の上で、誇張やデフォルメをすることに躊躇しなかったのです(「何も足さない 何も引かない」とは180゜逆の、いわばバロック的な美意識です)。

これが、当時の新興勢力として勃興しつつあった武士階級(とくに東国の)に大受けした。
運慶は、註文を受けて、しばしば工房を引き連れて、東国に遠征制作に出掛けています。

繰返しますが、漱石の作品は説話小説であって、美術評論でありません。
運慶の実像は、バロック的表現主義的な彫刻家、ということです。
(次カキコミでまとめ)