宇野がちゃんとした書き方をしてれば
661はもうちょっと違った形でこの演奏と出会ったかもしれないな。
宇野はなんでもかんでもクナ、フルベン、そしてシューリヒト万歳が本質。
だからこの三人を聴けなかった無念さというかコンプレックスを
ムラヴィンスキーをさもそれらの再来かのように仕立て上げることによって
自分自身を満足させようとしている部分が少なからずある。
でもこれってムラビンだけでなく
他の指揮者へのとんでもない冒涜というか誹謗中傷だということに気づかないんかね。