スクオさんの言っていることはある程度共感できるんだけど、
脱我と官能を完全に分離して考える必要はないと俺は今は思っている。
昔は分けて考えていたんだけどね。
官能は現在の存在を直感的に肯定するための道具なんだと思う。
そこには涅槃や脱我の元になる要素も含まれていると思うんだよな。
神聖と悪徳なんか分けずに、全て飲み込んだ上での存在(宇宙)の肯定。
そこにスクリャービンが見た神秘と恍惚の世界があるんだと思うが、
もちろん俺個人の意見。色々な意見があるとは思う。