グレン・グールド Glenn Gould (1932-1982) Part12
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0655sage
2008/05/22(木) 01:41:02ID:FkpqeT5M欲望の対象は始原の始めから常に欠如しているということ、
対象の出現は常に対象の欠如と同時に生じるということ、
そして、この対象は無/欠如の実定化以外のなにものでもない、
つまりそれ自体では存在することのない純粋に歪像的な実体以外の何ものでもないということ。
欲望の対象-原因が始原から構成的な欠如として欠けている限りにおいて、
グールドのメランコリーは、この欠如を喪失として解釈する。
あたかも欠如している対象がかつて所有され、後に失われたものであるかのように。
それはつまり、喪失と欠如の混同である。
パラドキシカルなのは、この欠如を喪失へと翻訳するグールドの操作によって、
我々が対象の所有を主張できるという点だ。
グールドはかつて一度も所有したことのないものは、決して失われることもないことを理解している。
だからメランコリーの主体は、失われた対象に無条件に固執することによって、
ある意味で、その喪失という状態にある失われた対象を所有することになる。
「すでに失われた何かを救出すること、
拘束力のある伝統が廃れようとしているときに失われ始めようとしているものを演奏のために取り戻すことに気を配った。
この救出の試みのため、彼は過剰にタクトを振ったが、
その祈りが探し求めているものは、もはや純粋に直接的には存在していないものである。」アドルノ
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