感情に則した劇的表現が特徴であるとされる。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

これだけ読むとロマン派の説明のようだが実はバロック音楽の説明。バロック音楽は、人間の感情とは対極にあるルネサンス音楽へのアンチテーゼとして出現し、本来は人間の感情を表現することこそが目的だった。

しかしそれに対する反動がバロック後期になると顕著になり、この流れは古典派へと続くが、やはり同じように人間の感情をストレートに表現するロマン派がアンチテーゼとして現れてきた。だから、本来バロック音楽はその精神の部分でロマン派と直結してるものなのである。

しかしながら、バッハの生きた時代、この当時はすでにロマン派への流れが始まっていた。人間の感情をあらわに表現するよりも、より典雅に、より優雅な、より単純な音楽が求められていたのである。
その時代にあって、バッハは頑固に古きよきバロックの伝統を受け継いだ。典雅な音楽よりも、人間の感情をあらわに表現することをこそ選んだのだ。
それゆえに生前からバッハは厳しい批判にさらされることになる。実際バッハの音楽は軽くはない。ヴィヴァルディの原曲とそのバッハ編曲を比べられば明らかである。

こういうバッハの音楽だからこそ、メンデルスゾーンの再演によってロマン派の時代の人々に受け入れらた。
バッハが音楽の父と呼ばれた理由もここにあるのだろう。人間の感情をあらわに表現した音楽だからこそ、ヘンデルではなくバッハがロマン派時代の人々の『父』だったのである。

したがって、バッハの音楽を今の古楽演奏のように軽く演奏してはいけない。むしろ、ロマン派の流れを汲んで演奏するのが本来のバッハの姿なのである。
とはいうものの、それをあまりに露骨にやりすぎるとバロック音楽ではなくなってしまう。その兼ね合いは難しい。

その点でベストの配合になっているのがリヒターの音楽である。
感情過多で重厚になりすぎず、バロック音楽としての位置づけを失わないようにきびきびと動く。
まさに奇跡的とも言える天の配剤といえよう。

・・・・なんちって。疲れたからもうやめよ。全部、ただの思い付きです。半分本気ですがw