【和声法】クラシックの音楽理論3【対位法】
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0071kyrie@鬱と躁の狭間で ◆.RYdSpBfEI
2008/03/13(木) 20:07:19ID:YihjLS69例えば。中心音についての「自称」形而上学の、一部。というか僕の日記ですが…
少なくとも、「中心への、個」であるが、中心への、間隔を埋めるのは、純粋に延長でも・純粋に心でも・両者の折衷でも有り得ない。
(従来の論によると)延長は、心的に、「そこからここへ」。心は中心的であり、中心にあって、延長を、「〜から〜へ」と自由に。
そしてこの「〜から」は、「〜へ」と「移動する」のではなくて、「後者の『〜』へと、最初の『〜』が『在る』」、
「『〜へ』へ向かって」「動かずに」「そこに」「在る」のだ。
その際、「〜から〜へ」としか心は操作できないのである。まずこの表記(「〜から〜へ」)が、世界を配置する最低の表記が、
最低にも拘らず、表記である。「〜から」の「〜」は、「〜へ」のとき、この表記にも関わらず、この中心性への断固とした
表明にも関わらず、絶対に「もの性」、「ものとしての不動性」、つまり完全に延長性である。
では、「〜から〜へ」と、移行するものは、なんなのか。
あとはグリッサンド、つまり連続性についての日記。
各輪郭の、連続性を考える段になったとき、輪郭間を埋め、それがなんであるか分からなくするのが、度である。
それは「ナニカの度」ではなくて、「ナニカである度」を超えて、「なんであるか分からない」連続のうちに、
「ナニカである連続」を、することになる。連続は、結局、「ナニカ間」が定まり、そこを連続するが、
その「ナニカ間」そのものが、その母に訴え、母に再出産してもらうとき、その奇形のどのようかは、まさに形の連続、
つまり、その形の由来である諸則中の連続であり、形の中の連続、「断続中の連続」である、
しかもそれはもはやナニカ間ではなく、始まりも終わりもない。
この断続間を貫く連続性の、二重化。まず、接合母、母の気性に沿って断続されたもの。
しかしなぜ母は、遇えて子を断続させたのか。ナニカ間、両極としての二つのナニカ。
この母なき連続子は、迂回する、迂回して互いに到達する。
その可能な迂回は、ある付加的意味の、ある文脈の、連続線の歪みによる。
とか考えてます。まあ理系へのコンプレックスですけどね汗
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