それにじゃあ本当に他の音楽に重さはないのか?どうして違うものが今でも多く存在しているのか?
どうして新しいものが生まれたり変化したのか、どうしてその楽器でその編成なのかって
突き詰めた人がどの程度いたのかも残念ながらクラシックではよく分からない。
単純なリズムや個人の人生を歌ったものでも背景を探ればそれが民族の苦難の歴史から続くものかも知れないし、
素朴で些細な音の違いの中にその重みを込めていたら、五線譜に直したくらいじゃすぐに読み取れない
けど、研究してそれを既存のクラシック的な音楽表現に取り込もうという動きが当たり前になったり、必須の項目・
主流として教育に組み込まれたり、また聴衆にも支持されてるように思えないんだよなぁ。
単発・短期間にはあちこちで行われてるだろうが。
民俗音楽を趣味としてる人や研究家の方がよほど本質を探ろうとしてるし、非クラシック系の演奏家の方が
純粋に器楽的な試みをして自身の領域に取り込む動きが盛んに起こったりしてるよ。
でもクラシックのようにせっかくの試みも後世の人が手にとりやすい形にしたり更に洗練させたり
せず刹那的に終わってしまう可能性もある。それはそれでいいと思うけど、クラが手を出す意義って
そこにあると感じてる。