自称独学者であった(リョベートの門人であったという説もあり、ソースは>>842)
セゴビアの自身が弟子に行っていた教育は、>>860が指摘してる”先生のいうとうりに生徒に
ひかせようとする” ”お家芸”の伝承に近いもであった。
http://www.youtube.com/results?search_query=Segovia+Master+class&search_type=

しかしこれは否定されるべきものではないことは、彼の元から育ったジョン、ギリア、フィスク
パークニング、ホセルイス他弟子たちが夫々違った独自のスタイルを確立していることからも
明らかだろう。

また、>>860で例に挙げている番組はおそらく”ピアノスーパーレッスン”のことではないかと
思われるが、このレベルのレッスン、或いはセゴビアのマスタークラス等においてフォーム、
タッチ、運指、爪などの改良が必要なレベルの生徒が受講することはまずないので、そういった
指導が行われることは稀である。いきおい巨匠の解釈を解説することがレッスンとなり、受講生も
”その場”では巨匠の表現を学び、真似ることになる。

このレベルの受講者ならば”その場”以降に巨匠の解釈の中から、自分が受け入れるもの・
入れないものを取捨選択し、最終的に自己のスタイルに昇華しすることが可能であることは、
前述のセゴビアの弟子たちの例からも明らかだろう。

しかし、セゴビアのレッスンが他の巨匠に比べても”先生のいうとうりに生徒にひかせようとする”
”お家芸の伝承”的要素が強いものであったらしいことはジョンが”Sevilla Concert"の中で
語っている。

ジョン自身、そういった経験を経てセゴビアの元を離れた経験から、セゴビアとは対極的な指導を
行っていることを、福田進一氏によるインタビューの中で語っている。
http://www.youtube.com/results?search_query=John+Williams+Fukuda&search_type=

自身がレッスンを受けてきた経験その他から教育については”私個人として”ジョンのスタイルに
共感を覚える部分が多いが、セゴビアの元から多数の国際的ギタリストが育っている一方で
ジョンの下からは(私的には”残念ながら”)ほとんどいないのもまた事実である。

ふぅ、これだけ引用つきで事実を述べても”かも知れない” ”と思う”を連発して反論されるんだろうなw