1788年、モーツァルトとの対面を望んでいたバッハの念願がようやく叶った。対面が遅れた理由として、
かつてモーツァルトが師事していたクリスティアン・バッハが、自分を勘当した父セバスティアンを
ことさらに悪く言っていたという事実を指摘する向きもある。

モーツァルトの妻コンスタンツェが夫の死後に書いた記録によるとこの対面は以下のようなものであった。
この年の初頭に転倒したバッハはそれ以来、足元がおぼつかなくなっていたため、
ハイドンに伴われてモーツァルトの家を訪れた。
しかしモーツァルトは昼から酒に酔っている状態で、さらにバッハに借金を頼む始末であった。
窮状を見かねたバッハは自作交響曲「ジュピター」の草稿をモーツァルトに渡して、活用するようにと言い、
身体と妻子はくれぐれも大切にするよう忠告して去った、という。

やや不本意な結果とはいえ、バッハは念願であったモーツァルトとの対面を果たした。
その帰途、ウィーンからベルリンへの旅行中、バッハは馬車の中で脱糞中に倒れてしまった。
バッハは「モーツァルトの才能はわたし自身に匹敵するが、彼はもっと努力すべきだ」と言い残したという。
また、発音不明瞭ながら、ラインケン以上の長命を保ったことを自賛していたともいわれる。

バッハ倒れるの報は各地に伝わったが、当時ボンを離れることができなかったベートーヴェンは、
「バッハにもし合うことができたら、フーガの技法を管弦楽に移植して完成させ、その終曲に
 シラーの頌詩による合唱を加える許可を取り付けたであろうに」と悔しがったという。