『マーラー』旧訳はあまりにも悪名高すぎだけど、それ以外の訳もひどいのが
多いね。以前読んで、難解というより訳文の生硬さにほとほとまいった経験のある
『不協和音』(平凡社ライブラリー版)から、今たまたま目についた箇所を
例に挙げると、

音楽の主体性を担うべき生徒たちは音楽の真理の客観性から、つまり作品
内容の実質からどうしようもなく遠ざけられ、その間に主観はミューズ的
芸術活動の雇われ人に堕落し、また客観性は何かの代用品に、つまり他でも
ない時間の超越を要求することによりどうしようもなく歴史主義に陥って
しまっていてなお強情に維持されている永遠的価値に化して、どちらもが
存在の正当性を失うのである。 (op. cit., p. 204)

最後の「どちらも」が、「主観」と「客観性」のどちらも、だと分かるには
もう一度全文を読み直さないとだめだったし、何度読み返しても「要求する」
の主語は何なのかさっぱり分からないw