う〜〜ん、なんだか話が噛み合わんな。

>>「現代社会」(>>204)とか「社会生活」(>>205)という用語は、
>>軽々と一般化して使わない方がいい気がする。
というか、俺が「社会生活」というときは、当然自分がその中にいて
自分が見聞できる「社会」の話をしているわけで、その程度の対象化さえ
試みもしないで理論もヘッタクレもないと思うのだが。

残念ながら、俺が見聞できる範囲内にはアンダルシアの「ジプシー」はおらず、
彼?の肌が焼けているかどうかも知らない。しかし、>>202氏といえども、
>>210を見ると、どうやらその「ジプシー」は「思い浮かんだ」もののようだ。

2ちゃんねるに日本語で書き込める、グーグルその他の検索機関を使って
ドゥエンデと叫ぶ「ジプシー」の話を拾ってくることができる、という
自身が置かれた状況を対象化することのないまま、
音楽に「虚心坦懐」に向かい合える感性の持ち主を
アンダルシアであれシベリアであれ中近東であれ世界のどこかに仮構する、
というのは、今時珍しいくらい素朴なロマン主義だと思うがな。