テオドール・アドルノの音楽論
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0205名無しの笛の踊り
2008/01/22(火) 18:55:03ID:ePQqMRRx『啓蒙の弁証法』序文が、まさにそうなんだけど。
>>202
「進歩」したはずの現在において、ある種の「退行」と
しか認められないような事態が生じている、それどころか、
「進歩」と「退行」が表裏一体の関係にある、というようなことは、
社会生活のいたるところに見られるんじゃないかな。
アドルノが、>>198で挙げたエッセイで論じた「聴取の退化」
という問題は、音楽「消費」のすべての場面の問題だろうし、
俺自身も当然無関係じゃない。宇多田ヒカルの何とかという
CDが何百万枚も売れた、ということは、その反面、
数百枚しか売れなかったCDが大量に(何万枚も?)ある、
ということにならないか?ストラヴィンスキーなら、
春の祭典であれば毎月のように新譜が出る一方で、
レクイエム・カンティクルスは初演の三日後の録音しかない、
(のかどうかは知らないけど)とか・・・
自分たちの感性が、ある種いびつな形で普遍的に形成されるシステムの中で、
俺自身、音楽を「消費」しているんだろうと思うよ。
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