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テオドール・アドルノの音楽論

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0001名無しの笛の踊り2008/01/08(火) 11:57:11ID:aLuCfL7X
この人やったら難しい事ばっかり言うけど、実はよくよくかんがえてみると???な所が多い
みんなはどう思う
0002名無しの笛の踊り2008/01/08(火) 12:35:13ID:OLvY5BIT
また、すぐに落ちそうなスレ、立てましたね。
頑張ってほしいとは思うけど。100まで行くかな?
0003名無しの笛の踊り2008/01/08(火) 12:40:21ID:V3K4P9Lr
ここで音楽美学専攻の俺が登場!
だがアドルノは正直わからん。原語で読めればまた違うかなぁとは思うけど。
翻訳の問題は絶対にあると思う。
0004名無しの笛の踊り2008/01/08(火) 12:48:40ID:SQUBLGUH
弦楽四重奏のための二つの小品op.2(1926)を聴いた

まるっきりベルクのパクリでワロタ
0005名無しの笛の踊り2008/01/08(火) 14:21:55ID:NV95qytQ
昔、Wergoっていうレーベルから出てたアドルノ作品集ってCDを聴いたことがある。
もし「これ、ベルクの曲です」って聴かされても信じてしまいかねないほど、似ていたように思う。
パクリかどうかはわからないが、仮にパクリだとしても、
ベルクをパクれるっていうのは、相当な音楽的実力がある証拠だろう。
件のCDには、シューマンの歌曲か何かを編曲した曲も入っていたが、
編曲の腕前もたしかだったようだ。
0006名無しの笛の踊り2008/01/08(火) 18:02:27ID:eiFVdie9?2BP(20)
素人ながらマーラー論には?だな
0007名無しの笛の踊り2008/01/08(火) 18:07:31ID:G/h7+JDK
あ法政大学出版会
0008名無しの笛の踊り2008/01/08(火) 19:02:19ID:SQUBLGUH
>「これ、ベルクの曲です」って聴かされても信じてしまいかねないほど、

残念ながらそれは無い。誰が聞いても支那レベルのパチモン。
パクリと言ったのは、ベルクの曲をバラバラにしてデタラメにくっつけたような曲という意味。
師匠の、終末に向かって途方も無いエネルギーのかたまりが流れていく感じとか、
ハーモニーの変転の美とか、そういう感覚とは無縁。この男には独自の楽想とかひらめきは無い。
0009名無しの笛の踊り2008/01/08(火) 19:52:08ID:F1aFqahj
ま、作曲家の道を選ばずに学者の道を選んだのは、
己を知っていた、ということか。
0010名無しの笛の踊り2008/01/09(水) 17:42:34ID:VuHGsyTG
誰か骨のあるヤツ頑張れよage
0011名無しの笛の踊り2008/01/09(水) 18:23:43ID:hcNGR6Ht
音楽を「商品」として消費している現代社会を批判する態度には、強く共鳴するな。
漏れも、本当はCDも何も要らない。

音楽そのものがありさえすれば。
0012名無しの笛の踊り2008/01/09(水) 18:28:39ID:KAL4w6Uh
明日あたり本届くから読んだら何か書き込んでみるよ
0013名無しの笛の踊り2008/01/09(水) 18:52:26ID:3DJt7mlU
「アルバン・ベルク」
「ベートーヴェン 音楽の哲学」
「マーラー 音楽観相学」
「音楽社会学序説」
「楽興の時」
「不協和音」
音楽を主題にした著作で邦訳されているのはこれくらいかな。
持っているのに半分も読んでない。
0014名無しの笛の踊り2008/01/10(木) 13:25:31ID:fHVjrAjI
アドルノは、作品もベルクに似せているだけ
作品論・音楽論は、難解な論調で抽象的にすすめているが、はっきり言えば重箱の隅をつつくようで、詭弁

結局、アドルノ本人が「教養消費者」であった可能性が高いと思う。
0015名無しの笛の踊り2008/01/10(木) 13:35:42ID:LjPGssw1
アドルノの業績で今も評価されているのは社会学・心理学領域の
ものだけだよ。音楽評論や作曲はもともと趣味のようなもの
(まあ本人は大真面目だったんだろうが)。
0016名無しの笛の踊り2008/01/10(木) 13:44:24ID:POKWMaBA
>>14
その意味で、山口マンガ昌男だの、中沢オウム新一だの、浅田スキゾキッズ彰だの、
80年代人気であと忘却されたニューアカデミストに似てる。
結局、音楽論は面白み・重みに欠ける。
>>15が言うように、他分野では、がんがったけどね。

0017名無しの笛の踊り2008/01/10(木) 13:53:28ID:4NQtFTLL
>音楽論は面白み・重みに欠ける。

ここまで知恵遅れ丸出しの意見だとなんだか清々しいな。面白み・重み。
0018名無しの笛の踊り2008/01/10(木) 14:07:38ID:LjPGssw1
>>16
>80年代人気であと忘却されたニューアカデミストに似てる。

一般人には忘却されても専門分野では今もそれなりに尊重されてる,
という点でも似てるかもね。
0019名無しの笛の踊り2008/01/10(木) 14:13:05ID:OzaIiAN4
マーラーの旧訳は誤訳・悪訳の例として必ずあげられるぐらい有名になってるな
0020名無しの笛の踊り2008/01/10(木) 14:13:17ID:oLrM+pnA
バイエルン時代のショルティが『ルル』の上演の際、アドルノに開幕直前のプレ
トークを依頼した。が、ショルティはうっかり「5分だけ」と言うのを忘れて
しまう。


案の定長々と話を続けるアドルノにトーク開始30分目にして聴客から遂にブーイ
ングが飛び、ようやく自分が喋り過ぎたことに気付いたアドルノは舞台袖に引っ
込んだという。


その時のアドルノの様子をショルティは


m9^д^)涙目プギャー


と表したという
0021名無しの笛の踊り2008/01/10(木) 14:15:23ID:LjPGssw1
>>20
悪いのは明らかにショルティじゃないか。
ショルティは結局いつもそうだから嫌われたんだな。
0022名無しの笛の踊り2008/01/10(木) 14:32:45ID:h/jP8Mbu
『マーラー』旧訳はあまりにも悪名高すぎだけど、それ以外の訳もひどいのが
多いね。以前読んで、難解というより訳文の生硬さにほとほとまいった経験のある
『不協和音』(平凡社ライブラリー版)から、今たまたま目についた箇所を
例に挙げると、

音楽の主体性を担うべき生徒たちは音楽の真理の客観性から、つまり作品
内容の実質からどうしようもなく遠ざけられ、その間に主観はミューズ的
芸術活動の雇われ人に堕落し、また客観性は何かの代用品に、つまり他でも
ない時間の超越を要求することによりどうしようもなく歴史主義に陥って
しまっていてなお強情に維持されている永遠的価値に化して、どちらもが
存在の正当性を失うのである。 (op. cit., p. 204)

最後の「どちらも」が、「主観」と「客観性」のどちらも、だと分かるには
もう一度全文を読み直さないとだめだったし、何度読み返しても「要求する」
の主語は何なのかさっぱり分からないw
0023名無しの笛の踊り2008/01/10(木) 14:46:18ID:POKWMaBA
>>22
たぶんね、「要求する」の主語は
その文節の末尾「永遠的価値」なんじゃないかな?

社会に出るのがイヤで学内に残った、出来の悪い院生あたりに
ただ働きで訳させたんじゃないのかな?
0024名無しの笛の踊り2008/01/10(木) 14:53:57ID:J8g1j33n
>「要求する」の主語は何なのかさっぱり分からないw
「永遠価値」でしょ。

客観性は永遠価値(それは時間の超越を要求することによって
歴史主義に陥りつつ、なおかつ強情に維持される)と化して...
    
確かに悪文だけど、ドイツ語の哲学書の翻訳としては飛び抜けて
酷いようには感じないなあ。こちらの感覚が鈍っちゃってるのか。
0025名無しの笛の踊り2008/01/10(木) 15:00:54ID:POKWMaBA
生徒たち(=音楽の主体性を担うべき)は、
遠ざけられる。
 何から?→音楽の真理の客観性=作品内容の実質 から。

その間に
○主観→「ミューズ的芸術活動の雇われ人」に堕落
○客観性→「何かの代用品」に化す
 「代用品」とは?=“永遠的価値”
     時間の超越を要求することにより歴史主義に陥って、
     なお強情に維持されている

そのどちらもが、存在の正当性を失う。

−−ってことかな。まぁ本文は悪文だね!
0026名無しの笛の踊り2008/01/10(木) 15:22:05ID:A53tXK2h


おまいら、すごいな。よくそんな難しいの読んで
いろいろ語り合えるよな。
0027名無しの笛の踊り2008/01/10(木) 15:41:48ID:sXE0X3bG
ベルク:弦楽四重奏のための叙情組曲(1926)

アドルノ:弦楽四重奏のための二つの小品op.2(1926)

アドルノの一曲目がベルクの一曲目をつぎはぎしたような曲
非常に流されやすい子なんだろね、テオドル君は
0028名無しの笛の踊り2008/01/10(木) 15:55:14ID:7gEIgXt+
以前『啓蒙の弁証法』を読んだが、むちゃ強引に一言だけ印象を言うと、
結局最終的にはエリート主義、進歩史観って感じがした。
もちろん単純なそれではないけど。
ヨーロッパ近代という野蛮を批判しながらも、結局、そ同じ穴の狢。
特に音楽的には直接全部読んだわけじゃないけど、新ウィーン学派の流れ以外、ほとん認めなかったんだろ?
俺の大好きなシベリウスとかけちょんけちょんだし。
だから個人的に嫌い。
0029名無しの笛の踊り2008/01/10(木) 16:19:31ID:fHVjrAjI
基本的に、20世紀になっても調性的・比較的古典的な音楽を書いた人には批判的だね。
0030名無しの笛の踊り2008/01/10(木) 16:27:20ID:LjPGssw1
>>28
>ヨーロッパ近代という野蛮を批判しながらも、結局、そ同じ穴の狢。

それは20世紀が終わった今だから言えるわけで。
思想について時代的制約抜きに論評するのはちょっと。
文明とか進歩とか発展とか自体を相対化する,っていう
今なら当たり前のことすらアドルノより後になって
初めてできるようになったことなんだから。

水戸黄門に出てくる悪代官たちが黄門様の顔を知らないのは
不思議だ,こんなにテレビで全国放送してるのに,みたいな話。
0031名無しの笛の踊り2008/01/10(木) 16:31:13ID:LjPGssw1
シベリウスはあの時代にアドルノ(およびその他多く)に
けちょんけちょんに言われるような音楽を書いたからこそ偉大,
とも言えるわけで,またわれわれ自身もし1920年代のヨーロッパに
生きていてシベリウスを積極的に支持できたかは微妙だろう。

俺も交響曲全集4組持ってる程度のシベリウスファンだけど
これはやはりそう思うよ。
0032名無しの笛の踊り2008/01/10(木) 18:07:57ID:ra7CvtEV
「まことにバッハにおいては、民族的な要素が普遍性へと止揚されているのである。
このことはほかならぬ20世紀中葉にまで至るドイツ音楽の優位を説明するものである
と言えるかもしれない」と書き、
シベリウスに関しては、
「彼は全ヨーロッパの作曲技法がかちえたものを受け入れず、
彼の交響楽法においては無意味で平凡なものが
非論理的でまったくわけのわからぬものと結びつけられているのではないか。
美的に整っていないものが自然の声だと見誤られている」
と批判している。
0033名無しの笛の踊り2008/01/10(木) 20:27:35ID:SJ00dOrN
アドルノがシベリウス批判をする際に取り上げている作品って何?
0034芹澤博士2008/01/10(木) 21:09:31ID:SJ00dOrN
アドルノが個々の作品や作曲家について下す判断には
正直?なところもたしかにある。
(とくにオレの好きなシベリウスに関しては、
アドルノに文句のひとつも言ってやりたいところだ。)

しかし、彼の着眼点や方法論のユニークさやパースペクティヴの広さは、
いまだに多くの哲学者、思想家、美学・音楽学者を魅了していることも、
また事実。
有名なところでは、哲学者・思想家の故エドワード・サイードがそうだし、
クラヲタになじみ深いところでは、
これも故人となった指揮者で精神科医のシノーポリがそうだった。

統一された全体性という神話の中にあって、
決してそれに解消しえない異質な要素を際立たせることで、
その作品のもうひとつの隠された真実を浮かび上がらせる、
というスタイル。
それを哲学・美学理論として打ち出したのは、紛れもなくアドルノであり、
それを指揮者として演奏レベルで実践したのが、シノーポリだった。
0035名無しの笛の踊り2008/01/10(木) 21:47:58ID:ra7CvtEV
>>33
「今まで聴いた交響曲の中で、最悪だ」って評したのは、
第3番ですね。
(ぐうぜんにも3-3-3)
0036名無しの笛の踊り2008/01/10(木) 21:59:30ID:7a8wKioV
シベリウスって4番書いた後
旧世界に帰って行った人だからね
0037芹澤博士2008/01/10(木) 22:18:51ID:SJ00dOrN
>>35
dクス。なるほど3番だったか。
まぁ、方法論的に迷いの見られる
(というか模索途中の)シベ3では
無理もないところもあるが……。

シベファンとしては、4番を、いや、
ソナタ形式を逆立ちさせたような7番を
アドルノに聴いて欲しかったな。
0038名無しの笛の踊り2008/01/10(木) 22:33:17ID:yrbP5I36
>>22-34 あたり
『不協和音』の中心テーマ(の一つ)はドイツの青年音楽運動の批判.
アドルノからすれば,同運動の指導者が,中心人物(の一人)であった
ヴィルヘルム・エーマンのようにナチス体制下で「活躍」していた人物で
あり,ナチス期の活動について懺悔の気配がないどころか,ナチス時代の
ヒットラー・ユーゲント運動を肯定的に懐古したりしている点を,とにかく
絶対に許すことができなかった.
もちろんユダヤ系知識人として極めて当然であり納得もできることでは
あるが,アドルノの青年音楽運動批判は根本的にこの体質的嫌悪感,反感
が動機となっており,青年音楽運動の指導者の音楽観などに対する具体的
批判はすべて後からつけた理屈,との印象は否めない.
青年音楽運動が「バッハも(ハインリッヒ・)シュッツも」同じように
楽しんでいるのがケシカラン,というあたりに至っては,アドルノの批判は
ほとんど言いがかり,揚げ足取りのレベルにまで落ち込んでしまっている.
0039芹澤博士2008/01/10(木) 23:36:45ID:SJ00dOrN
ちょっと記憶に頼って書いているので、間違いがあったら&長文スマソ。

1930年代初頭、アドルノはウィーンにいた。
当時のウィーンは「赤いウィーン」と後になって呼ばれるほど、
左右両翼陣営が政局を主導して革命的状況を迎えつつあった。

しかしそんな先鋭的な政治状況の中にいながら、青年アドルノは、
後の舌鋒鋭い社会批判者としての彼の姿からは想像もつかないほど“ノンポリ”で、
そうした政治状況に興味を示していない。
彼の興味は、もっぱら2つのことがら、
シェーンベルクたちの新しい音楽とフッサール哲学の批判的読解に注がれていた。

後年のアドルノが当時の状況を振り返る際に、
時によっては過剰と思えるほど苛烈な批判を展開する背景には、
>>38の指摘するドイツ青年音楽運動批判もそこに含めていいだろう)
当時の自分のありよう・ふるまいに対する忸怩たる思いが
どうしても見え隠れする。
「あれを許していた(気づかずにいた/黙認していた)当時の自分」を許せない、
といったところか。
そう解釈しないと、『啓蒙の弁証法』の基本的主張である
「ナチスはわれわれ西欧社会が必然的に生み出したものだ」というテーゼが
地に足の着かないものになるだろう。

「揚げ足取り」かもしれないが、
「揚げ足取り」すらせずにはいられなかったアドルノを、
オレは嫌いではないよ。
0040382008/01/10(木) 23:54:52ID:yrbP5I36
>>芹澤博士

私も,「もちろんユダヤ系知識人として極めて当然であり納得もできることでは
ある」と断っておりました.「極めて当然」と強調していた点にご留意頂ければ
幸いです.

卒論,修論ともにフランクフルト学派の批判理論で書いた私です.もちろん
アドルノは「嫌いではない」どころか学部生の頃はホルクハイマーとともに
ほとんど「心酔」状態でした(苦笑)(特にご指摘の『啓蒙の弁証法』).

近年はドイツ本国でもフランクフルト学派再評価の機運がまた高まってきている
ようで,嬉しい限りです.
0041名無しの笛の踊り2008/01/11(金) 00:00:55ID:ra7CvtEV
>>40
再評価が嬉しい、というのはなぜかいな?
かつて心酔してた相手から? 世界にとって再評価が幸福なことだから?
ひとしきり、語り、キボンヌ。

0042名無しの笛の踊り2008/01/11(金) 00:02:08ID:qjTasVTD
マルクス主義者アドルノは硬い厳しい音楽のみが
仮象である上部構造としての近代ブルジョア社会のイデオロギーを
打ち破ってそれに抑圧されていた「自然」を開示させると考えた。
それだから新ウィーン学派を絶賛し、反面チャイコやシベ、ストラヴィンスキー
などには低い評価しか与えられなかったわけだ
0043芹澤博士2008/01/11(金) 00:09:51ID:dKDKC9OI
>>38>>40
>私も,「もちろんユダヤ系知識人として極めて当然であり納得もできることでは
>ある」と断っておりました.「極めて当然」と強調していた点にご留意頂ければ
>幸いです.

もちろんもちろん。
貴兄の論点を否定しているわけではなく、
ウエイトの置き所を違えているだけだから。
それにアドルノのアレは、
ご指摘どおり「揚げ足取り」には間違いないしねw

ちなみにオレは『否定弁証法』派(んなもんがあれば、だけど)。
卒論はアドルノとハイデガーのヘーゲル読解比較でした。
ほとんど訳がわからんまま書きましたけどw
0044芹澤博士2008/01/11(金) 00:28:20ID:dKDKC9OI
>>42
仮にその仮象説を認めるとしても、それがゆえに
チャイコ、シベ、ストラヴィンスキーはダメだ、と
結論付けるのは早計じゃないですか、
だいいち演奏・解釈論のレベルが欠けているし、
それにシベリウスの後期作品なんて、
アンタの言う仮象説モデルが当てはまる可能性だってあるんですよ、
どうですかテオドール!
とオレ的には言いたいところですね。

まぁ頑固なテオは認めないだろうけどw
0045名無しの笛の踊り2008/01/11(金) 00:37:40ID:q2CbU7ZR
すんげースレになったな。
こういう住人たちが隠れているから侮れんな。
楽しませてちょ。
0046名無しの笛の踊り2008/01/11(金) 00:46:10ID:nlS1PW1/
>>38
アドルノの議論がそういう動機と直結していて理屈は後付けだというなら
その理屈自体の脆弱性を批判すれば済むし、それが通常のプロセスでしょう。
あんたみたいにいわば「動機の不純さ」をことさら強調するようなやり方
はまさに「言いがかり」的に見えるよ。
0047ウシウシ2008/01/11(金) 00:46:10ID:MZGGVhRx
>>44
「人類の音楽史」という“統一された神話”を書く時、もし

>統一された全体性という神話の中にあって、
決してそれに解消しえない異質な要素を際立たせることで、
その作品のもうひとつの隠された真実を浮かび上がらせる(>>34)スタイル

を実践するのであれば、むしろ、シベリウスらこそ積極的に評価されて
然るべきだったよね。


0048名無しの笛の踊り2008/01/11(金) 00:59:09ID:+6oIjG7R
アドルノの弟子(生徒?)で
ジャズ・ギタリストになった奴がいたよな。

デイブ・パイクのグループでシタールまでひいてたっけ。
0049名無しの笛の踊り2008/01/11(金) 01:31:23ID:4PPWc9JM
>>39
NHKFMのバイロイト中継でお馴染みの船木君が一生懸命訳した
「音楽の社会的状況によせて」(1932、『音楽・メディア論集』所載)をぜひご一読下さい。
アドルノはたしかに狭い意味での政治には興味はなかったでしょうが、
(狭い意味での政治:たとえば、次の衆院選で自民がどれだけ議席を減らすか、など)
社会の全体的状況のなかで芸術を考える、という点では最初期から一貫していますよ。
0050名無しの笛の踊り2008/01/11(金) 01:35:55ID:w321Pa5Q
>>30
でも漏れはふと思い出す−−
パブロ・ピカソがあの素晴らしい「アヴィニヨン」を描いたのは、
1907年のことだったではないか!
まったく>>28の指摘するように、アドルノの見解は、
時代思潮に還元できない問題を含んでいるよ。
彼は、ドイツ周辺しか見えてないよ。
つねづね音楽美学は、視覚の美学に遅れを取りやすい性質がある。
「全人類の音楽史」(>>47)という概念は、発想し得なかった、ということだ。

ニューアカデミズム(>>18)流行の時代、人気だったシノーポリの楽曲分析にも
似たような傾向があるよ
0051芹沢博士2008/01/11(金) 02:10:08ID:dKDKC9OI
>>49
>社会の全体的状況のなかで芸術を考える、という点では最初期から一貫していますよ。

それはその通りだと思います。
芸術のことだけしか考えないような近視眼的な思考を、
アドルノは一度たりとも持ったことはないでしょう。

ただ、そのことをもってして、
彼が当時の政治状況をリアリティをもって受け止め、
そしてその政治的リアリティと芸術との関係を真剣に考えていた、とは、
どうしても考えにくいのですよ。

「次の衆院選で自民がどれだけ議席を減らすか」的な
「狭い意味での政治」と書かれていますが、
当時のドイツ、オーストリアでは
「次の総選挙でナチスがどれだけ議席を獲得するか」は
もはや「狭い意味での政治」ではありえない状況だったわけですから。
0052芹沢博士2008/01/11(金) 02:10:47ID:dKDKC9OI
連投スマソ。

たしかこの時期のアドルノって、
すでにイギリスに半亡命状態にありながら、
就職のことでしばしばドイツとイギリスを行ったり来たりしていたはず。
(遠距離恋愛の最中でもあったw)
「今ドイツに戻るのは危ない」という仲間の忠告を、
あまり真剣に受け止めなかったようですね。
それに、ナチスに対する認識も「どうせ一過性のもの」程度でした。

私見ですが、アドルノが本当の意味でアドルノになるのは、
ユダヤ人という理由だけで、有能な芸術家たちが次々と命を落としていく現実を、
否応なく突きつけられてからのことだと思います。

その意味で言うと、30年代の若書きの音楽論は、
アドルノ一流のキレをすでに見せてくれてはいますが、
深遠を覗き込んだ後の凄み、のようなものはさすがにまだ感じ取れない、
オレにはそう思えてならないのですよ。
0053名無しの笛の踊り2008/01/11(金) 02:46:48ID:2rP73VYX
>芸術のことだけしか考えないような近視眼的な思考(>>51
の真意が掴みにくいのだが、文字通り、即物的に
“パン無くして、芸術のへったくれも無い”
“ガス室の中では、芸術もへったくれも無い”という唯物論であるなら、
それは現実世界の一面しか捉えられていないんじゃないかな

>社会の全体的状況のなかで(>>49)
しか芸術を考えられなかったホモサピエンスの一派が、逆に、
例えばナチスに暴走を許したのだしね。
「ナチスはわれわれ西欧社会が必然的に生み出したものだ」(>>39)
という発言も、センチメンタルなだけに響いてくる

現生人類が考えた唯物史観の非常な無力さを改めて感じずにいられない。





0054芹沢博士2008/01/11(金) 06:02:28ID:dKDKC9OI
>>53
>“ガス室の中では、芸術もへったくれも無い”という唯物論

53氏がこの表現を出してくれたので、あえてそれに関連づけて言うならば、
アドルノの唯物論について(ちなみに唯物論と唯物史観はほとんど別物ですが)、
こんなふうに表現できるのではないかと思っています。

すなわち、
「音楽を奏でることが出来た者が、そのスキルゆえにガス室行きを免れた」とき、
「ガス室送りを命じた者が、家族と音楽をこよなく愛する者だった」とき、
「ガス室の中で最後に出来ることの数少ないひとつが、歌を歌うことだった」とき
その時、音楽とは一体何なのか、
こうした苦いアイロニーに何とか答えようとする試みこそが、
アドルノの唯物論の実質を形づくるものだったのではないか、と。

「たまたま収容所の所長が音楽好きだっただけ。そんなのと音楽とは何にも関係ない」
という結論を、アドルノは認めないでしょうね。
それが本当に「たまたま」なのか、いやそうではなく、
そこに何がしかの必然性・関係性(場合によっては共犯性)があるのではないか、
それがアドルノの「唯物論」の本質的課題だったんじゃないか、
と強く感じています。

だから、オレにとってのアドルノの音楽論は、難解であるというのとは別に、
何か苦い味がするんですよ。
0055名無しの笛の踊り2008/01/11(金) 06:05:16ID:cj5SAcs/
アドルノノ理論は日本の音大でも教えるべきだな。
0056名無しの笛の踊り2008/01/11(金) 08:55:22ID:e8Z6KvQc
>>54
>「音楽を奏でることが出来た者が、そのスキルゆえにガス室行きを免れた」とき、
「ガス室送りを命じた者が、家族と音楽をこよなく愛する者だった」とき、
「ガス室の中で最後に出来ることの数少ないひとつが、歌を歌うことだった」とき
その時、音楽とは一体何なのか

ここ数年で観た、いくつかの戦争の映画を思い出したよ。。。
にがいね。。。

必死でかき集めたDECCAの「頽廃音楽シリーズ」を取り出して聴いていたよ
シェーンベルクの「ワルシャワの行き残り」も聴いてたよ


0057名無しの笛の踊り2008/01/11(金) 11:03:42ID:wF7+ADAH
>>37
トスカニーニ、クーセヴィツキー、セル、バルビローリ、(チェリビダーケ)…といった
シベの名演を残した往年の大指揮者・名指揮者すら、取り上げる曲には強い偏りがある。
積極的な意味でシベリウス全集を作るというのは、全く新しい音楽美学が生まれ、そして育った証左だ。

ベルグルントなんか聴くと、同じ曲でも、上記の録音とは、
時代のみならず、音楽世界−−ひいては文化的価値観、世界観すら、まるで別物だ。

…しかしながら、その価値観の「根」は、そもそも、つねに存在していたのではないのか?
アドルノの時代にも厳然として存在し呼吸しながら、
しかしドイツ音楽まんせー派に一方的に、軽蔑され、差別され、疎外されていただけ
なのではあるまいか?

アドルノが「ナチスはわれわれ西欧社会が必然的に生み出したものだ」(>>39)と述懐するとき、
その“西欧”とは、どこからどこまでをイメージしていたんだろう。
少なくとも、その“西欧”の地図の中心には、ゲルマン国が描かれていたのではあるまいか?
0058名無しの笛の踊り2008/01/11(金) 11:16:19ID:qjTasVTD
まあアドルノがその時代でみても音楽作品評価に関して狭い範囲
の評価だったことは確かだろうな
ジャズ批判にしてもその当時にジャズの価値を認めた知識人・音楽家
はたくさんいたわけだしな
ドビュッシー、ラヴェル、クルシェネク、クルト・ワイル、ブレヒト
ヒンデミット、ショスタコ等々
0059芹澤博士2008/01/11(金) 19:03:47ID:lV6Bftw6
>>58
たしか海外の研究書で
『アドルノはなぜジャズを理解できなかったのか』
というタイトルの本があったのを思い出したよ。
「そのテーマで本1冊まるごと書けるんかい!」と
驚いた記憶があるw
0060名無しの笛の踊り2008/01/11(金) 19:21:37ID:o8E0j8MU
人を救ったり人を殺したりするのは音楽じゃなくて人間なのよ。
0061芹澤博士2008/01/11(金) 19:40:00ID:lV6Bftw6
>>60
その「人を救ったり人を殺したりする」人間なしには、
音楽はひとつとして生まれません。
そうである以上、人間と音楽を切り離すことはできない、というのが
アドルノの(彼だけに限りませんが)基本的な視座でしょうね。

せっかく60氏がテーゼを出してくれたので、
それを拝借してちょっと思考実験をしてみようと思うのですが、
「人を救ったり人を殺したりするのは『音楽』じゃなくて『人間』」というテーゼの
『音楽』と『人間』を取り替えても、テーゼとして成立するでしょうか?
すなわち、
「人を救ったり人を殺したりするのは『人間』じゃなくて『音楽』」ってアリ?
0062名無しの笛の踊り2008/01/11(金) 23:04:25ID:4PPWc9JM
>>51 >>52
30年代初頭のアドルノの音楽論には、後年ほどの凄みは感じられない、
というのは、むしろ芹沢博士の誠実な人柄(これは皮肉ではありませんよ)が
ゆえのことのように感じられますね。私見では、基本的な道具立ては、
>>49で挙げた論文ですでに出来上がっており、未完に終わった美学理論まで
個々具体的な作品評価も呆れるほど首尾一貫していると思います。

アドルノの具体的な政治状況判断が甘く、ナチ支配も一過性のものと考えていた、
というのはご指摘のとおりでしょう。1934年にアドルノはナチスに迎合的と
受け取られても仕方がない文言を含む音楽評を一つばかり書いています。

それでは、アドルノはそういう状況判断の甘さを捉え直し、
その反省を、音楽理論を含む自らの思想の養分としたのかといえば疑問です。

>>54
>「たまたま収容所の所長が音楽好きだっただけ。そんなのと音楽とは何にも関係ない」
>という結論を、アドルノは認めないでしょうね。
は仰るとおりでしょう。

ですが、
>「ガス室送りを命じた者が、家族と音楽をこよなく愛する者だった」とき、 ・・・
>その時、音楽とは一体何なのか、
>こうした苦いアイロニーに何とか答えよう
というのは、アドルノの問題意識というよりは芹沢博士の問題意識と感じられます。
アドルノにとってそれはアイロニーでも何でもなく、啓蒙の弁証法の一帰結だろうと思います。
0063芹澤博士2008/01/12(土) 01:35:39ID:absyoW/5
>>62
ご丁寧なリプライ、ありがとうございます。
生まれてこのかた「誠実な人柄」などと言われたことがないため
(しかも2ちゃんという場で!)、
飲んでいたキリン生茶が気管に入ってむせってしまいました。

>というのは、アドルノの問題意識というよりは芹沢博士の問題意識と感じられます。

ご指摘のとおり、かなり脳内補完が入っていて
「マイ・アドルノ」に近いものかもしれません。
まぁ、研究者でもなんでもない一介の市井人が、
アドルノのクソ難しい文章を読み通すのは
(しかもわざと簡単に読めないように書いてあるのが憎らしい)、
自分の問題意識に相当強引に引き付けでもしない限り、
かなり厳しいところがありますので。

ただ、そういう事情は別として、貴兄がおっしゃるように、
1930年代にはアドルノはアドルノとして“出来上がっていた”となると、
逆に、1940年代に彼が経験したはずの多くの事柄、例えば
ユダヤ人の虐殺(広い意味で親友ベンヤミンの死も含めて大過ないでしょう)や
自身の亡命経験(カリフォルニアはアドルノにとって“文化の果つる地”だったようですね)は、
いったいどのような意味を持っていたのかが気になります。

1940年代の経験は、1930年代にはすでに事実上仕上がっていた彼の理論に、
その正しさを裏付けるための歴史的結果でしかなかった、ということなのかどうか。
そのあたりはどうお考えですか?
0064名無しの笛の踊り2008/01/12(土) 09:00:45ID:hKpn9s4b
もはやついていけてない俺涙目www
0065名無しの笛の踊り2008/01/12(土) 14:23:48ID:RkWDuKZT?2BP(20)
>>64
ついてく必要もない話
0066芹澤博士2008/01/12(土) 14:57:20ID:uQf8ADN0
>>64
当事者が言うのもなんですが、その通り!
話がこの流れだけになってしまうのは、かえって鬱陶しい。
せっかく2ちゃんなんだから、いろんな話題を同時展開して、
それぞれが興味のあるほうに進んでいけばいいんですよ。
00672008/01/12(土) 14:59:04ID:uQf8ADN0
スマソ、>>64>>65ね。
0068芹澤博士2008/01/12(土) 15:19:58ID:G60e54M5
ちなみに、オレが今一番訴えたいことは、

なんかアドルノって、シベリウスに顔似てなくねーか?
なぜ誰もここ突っ込まない!

ってこと。他は譲れてもこれだけは譲れん!

……連投が続いたので、2、3日消えます。
失礼しましたぁ。
0069名無しの笛の踊り2008/01/12(土) 18:51:26ID:1/mn09PU
春サイの初演に混乱した当時のパリのコンサバ・ブルジョワ、
ドビュッシーを前に狼狽したフルヴェン、

アドルノは、自分の“優秀な”頭脳で割切れない音楽世界に戸惑ったのでしょう。
「だって、シベなんてスカンディナヴィアの未開人、楽典の教科書に載ってないじゃん!」
0070名無しの笛の踊り2008/01/12(土) 21:15:54ID:ECxv+yDk
>>楽典の教科書
そういえばアドルノは「もしシベリウスが偉大な作曲家であるならば
バッハからシェーンベルクにいたる音楽の規範の全てが無意味なものとなる」
っていってたから、その発想は結構真実に近いのかも
それだけシベリウスがそのヨーロッパの主流の音楽から見て
異質だったってことかな
0071名無しの笛の踊り2008/01/13(日) 00:57:03ID:1nupJjp9
音楽という海で泳ぐ仲間同士じゃん、と思う

シェーンベルクはサメでシベリウスはクジラだ
0072名無しの笛の踊り2008/01/13(日) 09:09:33ID:lcNWU4ff
要するにこの人も音楽の我流「正しい軌道」という主張をして他を認めなかったわけですね。
0073名無しの笛の踊り2008/01/13(日) 10:00:03ID:8yaS9ki2
どんな世界にもよくいるんだよ。
ちょっと弁が立つもんで得意になって、芸術に派閥政治を持ち込み、敵・味方で全てを決め付ける輩

20世紀のハンスリックだね
0074名無しの笛の踊り2008/01/13(日) 10:20:41ID:AiZg3h62
>>72
>>73
よくその程度の知識と認識でアドルノのスレなんかにカキコできるな
勇気あるねオマイラwwww
0075名無しの笛の踊り2008/01/13(日) 16:02:38ID:p2ldn06P
>>74 少年よ、大志をいだけ−−そんなに萎縮せずに。
キミのその言葉は、アドルノ博士に投げられる。
いわく、

「シベやチャイコやストラヴィンスキやジャズについて
よくその程度の知識と認識で本なんか書けるな
勇気あるねオマエwwww」

煽るつもりは毛頭ない。みんな自由に発言したまえよ。
勿論あまりに無思慮なのはご遠慮願いたいが、>>72>>73は、別に健全な意見だ。

アドルノの不用意なシベ批判が、彼の無見識ないし音楽体験の欠如によるものであり、
より前進した体験さえあれば彼も意見を撤回したかもしれないことは、
我々よりずっと彼に対して“知識と認識”が豊かな方の発言(>>39あたり)にも見付かるではないか。

2ちゃんカキコに比べれば、論文の出版は、
遥かに社会的・道義的・倫理的責任を負わねばならないところ、
アドルノでさえ、こんな乱暴な結論を提出しているのさ

2ちゃんは、皆んなでざっくばらんに語れる場なのだから、
そんなにビクビクすることとないよ。
Please join us!(なんかYMCAじみて赤面。。。)


0076名無しの笛の踊り2008/01/13(日) 16:16:02ID:oveK26IA
アドルノの言うとおり。シベなんて論外だよ。
0077名無しの笛の踊り2008/01/13(日) 16:34:51ID:ptuw0e6t
>>75
なんか勇気出た
0078名無しの笛の踊り2008/01/13(日) 17:15:54ID:TRC2NbYS
>>75
それにしてもアドルノを読んだことないのに
アドルノ批判するのはやっぱおかしいだろう。

ネット右翼が誰も大江健三郎を読まずに
批判だけしてるのと同じだよ。
0079752008/01/13(日) 17:25:54ID:p2ldn06P
>>78
確かにそうなのだが、そこは2ちゃん、すこし寛容になろうじゃないか?
あんがい、外野から飛んでくる意見に、往々にして、
思いがけない発想転換のヒントが含まれていることがあると、
私は経験で学んだ。
いろんな若い声、経験を積んだ人の声、聞こうじゃないか
0080名無しの笛の踊り2008/01/13(日) 17:46:29ID:oveK26IA
何を言ってんだ。こんな屑の世界に何をもとめてるんだ。
0081名無しの笛の踊り2008/01/13(日) 18:15:42ID:guDNnXAY
>>80
そうイラついた時こそ、
シベリウスで北欧生活。
0082名無しの笛の踊り2008/01/13(日) 19:57:30ID:zlv/h/wg
シェーンベルクこそが現代(当時の)における唯一の「真正」の音楽である
というテーゼが、おかしいと思います。
かといって、ヘーゲル流の進歩史観を音楽の発展に並行させることは、
意匠としては評価できるし、得るところも多いが、それが「唯一」というのが
欧米的グローバリズムの欠点ではないだろうか。
0083名無しの笛の踊り2008/01/14(月) 07:28:41ID:ohTNLmJW
>>74
間違ってると思ったら反論すればいいんだよ。
0084名無しの笛の踊り2008/01/14(月) 08:06:03ID:3oa+clqw
議論のテーマとなるテキストを読んだことを前提の意見なら
間違ってればテキストやその解釈に基づいて反論できるし
反論が必要な範囲も限定されるから議論が成立するけど
読んでないんじゃ無制限の範囲で間違った意見が可能だから
反論する方の負担だけが大きすぎて議論が成立しない。
ネットでの議論がほとんど成立しないのはそのせい。
0085名無しの笛の踊り2008/01/14(月) 08:15:29ID:ohTNLmJW
んじゃ、成立しないと分かってるものをなぜいじる?
議論が成立しないと最初からわかってて触れるほうがより悪質だと思うが
0086名無しの笛の踊り2008/01/14(月) 09:14:54ID:3oa+clqw
>>85
アドルノを読んだことが参加の条件,とすれば
ネットでもアドルノについての議論は成立する。
読んでない奴はROMればよい。でもそれができない。

そもそも条件や前提のない自由な議論なんてネットの外でも幻想だ。
小学生と会社経営や分析哲学の議論をしてもしょうがないだろう。
知識もなく勉強もしなくても議論に参加できて当たり前に
なったのがインターネットの最大の弊害じゃない?
0087名無しの笛の踊り2008/01/14(月) 12:22:30ID:2mzHvR++
みんな、先輩方は議論にくたびれてるらしい。
そっとして置いてやろうぜ
0088名無しの笛の踊り2008/01/14(月) 12:46:24ID:RfmWfWe9
>>84
>>86
そんだけの文字数を打つ暇があったら、
アドルノの論と照らし合わせて間違ってるなり合ってるなり言ってよ

インターネットの弊害を説いてるけど、じゃあなんでここに居るの?
0089名無しの笛の踊り2008/01/14(月) 13:37:25ID:Etzbl6+w
>>88 に賛同。うじうじ足踏みは、ほどほどにすべし

フットワーク軽やかに行こう。一応ここ音楽スレだしな
0090名無しの笛の踊り2008/01/14(月) 13:51:04ID:ohTNLmJW
そもそも>>1は「みんなはどう思う?」しか書いてないんだよな
誰も学術的に正しい事以外ROMれなんて書いてない
0091名無しの笛の踊り2008/01/14(月) 14:53:14ID:FXnHriIs
1は「この人やったら難しい事ばっかり言うけど、
実はよくよくかんがえてみると???な所が多い」と書いているが、
1は「???」の中身を明らかにした上で、「みんなはどう思う」と
尋ねた方がよい。
0092名無しの笛の踊り2008/01/14(月) 17:12:15ID:WTugeWfJ
>>63
PCから離れてましたので、亀レスご容赦。

強制収用所などでの大量虐殺、盟友の死などがアドルノの思想に
どう反映しているか、という点ですが、そういう具体的な事実によって
自分の思想の正しさをいよいよ確信した、というところではないかと思います。
その確認に、一抹の苦さを感じていたのは確かでしょうが。
亡命体験も同様ですが、他方で、何のかんのといっても
アメリカの実証的な社会科学の方法を学んだ点は強みにはなっていると思います。

アドルノとシベリウスの外見的類似ですが、個人的には
頭髪がない点を除けば、あまり類似性は感じません。

アドルノのシベリウス評価が話題になっていますが、
アドルノは、たとえばブルックナーについてもかなり否定的にみています。
シベリウスの第4交響曲以降をたとえ良い演奏で聞いたとしても
彼の評価が変わるとは思えませんね。

たしか、クルト・ヴァイルのマハゴニーの初演評だったと思いますが、
彼は「事実を前にしては批判は黙らざるをえない」という言い方をしていた
記憶があります。理論からすれば認めがたい作品も、アドルノ自身の胸を打つ、
ということは間違いなくあったでしょう。それでも理論は譲らない、
というのがアドルノのスタンスではなかったかと思います。
0093名無しの笛の踊り2008/01/14(月) 20:38:01ID:D9ZIn4+z
俺は個人的にはアドルノは谷崎潤一郎に似ていると思う。
外見の話。
0094名無しの笛の踊り2008/01/14(月) 20:56:02ID:femyRBM/
俺は個人的にはアドルノはアドルムに似ていると思う。
字面の話。
0095名無しの笛の踊り2008/01/14(月) 21:19:03ID:2mzHvR++
俺は個人的にはアドルノはアーノルドに似ていると思う。
アナグラムの話。
0096芹澤博士2008/01/14(月) 22:04:57ID:anYb82VE
>>92
>強制収用所などでの大量虐殺、盟友の死などがアドルノの思想に
>どう反映しているか、という点ですが、そういう具体的な事実によって
>自分の思想の正しさをいよいよ確信した、というところではないかと思います。

回答ありがとうございます。
薄っすらと感じてはいたものの、あまり認めたくはなかった酷薄な結論でした。

ユダヤ人の大量虐殺や親友の死によってその正しさが証明される
「啓蒙の弁証法」の凍て付いた地平は、
かつてアドルノをある憧れを持って読んだことのある者にとっては、
立ち続けるには厳しすぎる場所のようです。

所詮「マイ・アドルノ」は「マイ・アドルノ」でしかなかった、
というところでしょう。
0097名無しの笛の踊り2008/01/15(火) 10:53:31ID:cioyQwl2
理論からすれば認めがたい作品も、アドルノ自身の胸を打つ、
ということは間違いなくあったでしょう。それでも理論は譲らない、
というのがアドルノのスタンスではなかったかと思います。

常識的に考えれば、理論が破綻しているということではないかな。
0098名無しの笛の踊り2008/01/15(火) 12:55:48ID:HX1pkGjp
>>97
>常識的に考えれば、理論が破綻しているということではないかな。

例外があったら破綻しているというならほとんどの理論は破綻している。
むしろ例外を包含できるように理論を修正していくのが普通だし
アドルノはそうしたと思う。
0099シャルル2008/01/15(火) 14:01:48ID:NKBY0Swr
自分の頭(思い込み)と、自分の直感・感じたものの間に、齟齬が生じることがある。
すると大抵の人間は、後者を誤りと決め付ける。なぜなら、自分の経験から、あるいは他人を観察することによって、
「人間は間違いやすい」と知っているからです。
でも間違ったのは、前者(信仰・思い込み)なのか、後者(感覚・直感)なのか?
彼はその吟味を避けていた(あるいはそこから逃げていた)のではないでしょうか?

上で会話されている、ホロコースト体験の影響だのなんだのなんて、
それはエクスキューズに見える。その体験が軽かった、なんてもちろん言いやしない。
でもそれと理論の整合性とは次元の異なる話のはずです。

上で交わされている会話(>>96>>92のライン)には、そういう歯切れの悪さを覚えます。

0100名無しの笛の踊り2008/01/15(火) 14:25:36ID:sR3w1wS+
>>98
いや、アドルノはそうできなかったのだよ。――そこがいま議論になっているのですね

ここを>>92氏あたりは
戦中体験を通して「自分の思想の正しさをいよいよ確信した」のだと書くのだけど、
じっさいには、
ワイルもジャズもシベリウスも"包含"していけないほど、
理論を"修正"していけないほど、
《硬直化》していった、――と書く方が適切だと、洩れは思うな。
0101シャルル2008/01/15(火) 14:36:31ID:NKBY0Swr
>>100
そういうことさ。
アドルノにとって、ホロコーストは、自分の理論の正当化を保証する“都合のよい事実”だが、
かつて批判したクルト・ヴァイルの作品に迂闊にも(!)感動してしまった、という事実は、
同じ事実であっても、自分の理論にとっては、
看過すべき、沈黙すべき、忘却すべき、“不都合な事実”だった、ということです。
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