ランチタイムに連投しちゃお−−

文学が議論の対象にならない、とは言いたいのではありません。
もし彼の理論として書いたものと、実際の生き方・人生折々の態度表明との、
決定的な断絶を理解するには、それこそ
相田みつを心の詩「にんげんだもの」的(>>106)な全的な理解、
あるいは物語としてのアドルノを考えざるを得ないではないか、
と言いたいんです。

思考実験でしかない音楽理論なら、スレタイも
「アドルノの音楽論」=「音楽論(アドルノによる)」とするよりは、
「アドルノ と 音楽論」とした方がお似合いです。
それならここが、“アドルノの物語”を語り合う場だ、
ということが一層鮮明になるはずです。