たかだか、アドルノの理屈で言えばこうなる、という紹介だけで、
>この無責任発言者・アドルノ氏の、 精神の歪みを診断する
>おまえさんの精神の歪み、卑しさが見事に露呈している
というのは、素朴にすぎるというものでしょう。

「精神の歪み」という言葉は、内容を明確にしないまま、
マイナス・イメージのみを喚起させようとする情緒的な記号です。
議論を行いたいのであれば使わない方がよいでしょうね。

>アドルノの理論をアドルノ自身に適用すれば、そういう「破綻」にこそ真実が宿る、
>ということになるのでしょう。
と書いたところ、それではアドルノの音楽理論は「文学」ではないか、
という趣旨の書き込みがいくつかありましたが、
その点は良く考えてみる必要があると思います。

音楽一般のシステムについての言説ではなく、
個々具体的な音楽作品についての批評は、「理論」なのか「文学」なのか、
仮に「文学」であるとすれば、「議論」は可能なのか不可能なのか。

私は、アドルノは音楽批評を基本的に「エッセイ」と考えていた、と見ています。
「エッセイ」であるからには「文学」の一形態でしょうね。
そして彼は、音楽作品そのものについても、また音楽作品についての言説も、
「エッセイ」という形で「議論できる」ものとみなしていたと思います。

「文学」であれば議論の対象外になる(ゆえに、鑑賞するほかない?)
という考え方には、私自身同意できませんね。