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 確かに、彼の聴力障害は彼自身だけでなく、我々フルトヴェングラーファンにとっ
ても痛恨事だった。

 もしあれが無かったら、スタジオ録音の「運命」フィナーレはあんなスローテンポで
なく、もっと違った美学で構成されていたかもしれないし、「ルツェルンの第9」も、もっ
と幽玄、深遠な解釈になっていたかもしれない。

 ただ、ベートーヴェンが晩年に久々で開いたピアノコンサートの当時の新聞批評を
見ると、彼は全く耳が聞こえないにもかかわらず、「今なお“自分の楽器”であるピア
ノを十分に操れることを雄弁に示した」といった調子で、演奏会は大好評だった。
 もちろん、自分の力加減を調整すればいいピアニストと、他人の出す音の音質音
量を直すのが仕事の指揮者を単純比較はできないが。

 フルトヴェングラーも、作曲活動に専念して指揮の第一線は退いても、長年彼と演
奏を続けてきて、彼の意図を十分に汲み取れるオケだったベルリンフィルやウィーン
フィルを作曲の合間に時々振るくらいなら、オーストリアのKだの、ハンガリーのSだの、
日本のOだの(どれもこれも本名は恐ろしくて書けない)よりは美学的にずっと優れた
ライブ録音をいい音で残してくれたかもしれない。

 それを思うと、やはりフルヴェンファンとしては、もう少し彼に長生きしてほしかった。