ヴィトは、その一見煩雑にさえ聴こえるモチーフを、1つ1つ
細心の注意を持って取り出しては、丁寧に扱って、そのうっとりする魅力を我々の前に
手に取るようにありありと提示してくれたのです。
限定部数の石版画の画集を見せるようでした。

これが、ヤンソンスになると、もう1歩踏み込んでいるように聴こえます。
1つ1つ取り出されたモチーフ(動機)たちが、シークエンスの中でより生き生きした役割を認められているように聴こえます。
その結果、シーンやシークエンスの連なりに、より有機的なつながりが与えられ、
垂直方向の力動感、水平方向の雄大さに加えて、
前景・中景・後景といった舞台(アルプスの山並み)の奥行きが感じられるのです。

例の♪セブン、セブン・・・の“アルプスの動機”にしたところで、
こんなに豊かなニュアンスがこもった演奏は耳にしたことがありません。

>380にも書きましたが、登山を経験したことがある、登山の楽しみを分かち合える感受性の持ち主であるなら、
この演奏を聴きながら、具体的に、どこかの高山を歩く自分を想像し、
歩みにつれて自分の肉体と感覚が変化するさまを体験できる気になります。

Rシュトラウスも、この作品を仕上た時点で、もう自分は交響詩から離れて
オペラに創作の重心を移そうと決心したでしょう。
この世に、私が音楽で描き出せないものは、何一つ存在しない――と確信を抱きながら。