>>602
555さんらしい 深い洞察ですね。
確かに シューベルトは ロ短調交響曲の第3楽章スケルツォを
第1楽章の基本動機と密接なる関連づけをさせながら、
(それは第2楽章に対しても同様であることは ご承知のことと思いますが)
曲の随所に あたかも綿密な織物のごとく共通動機を縫いこんでゆくように
スケルツォも筆を進めかけていた、というお考えには 私も同意見>>493で、
それには まったく異議無しです。

この偉大な交響曲を完成させられなかった、ということについては 本当に 残念ではありますけれど、
私も 個人的には シューベルトの寿命より生き永らえてしまい、この歳になってやっと 残された事実を
ありのまま受け容れられる心境になってきました。
二楽章のままで、これで良かったのだ、と。
この夏の終わりに 実父の死を迎え、
「音楽の偉大さとは、完成していないということが、その評価の瑕(きず)になることなどは無い」
という、真理に 気づいたことも その理由であります。