話は飛びますが、20世紀の作曲家で最近好きな人は、ヴィラ=ロボスと
マルティヌーです。チェロ協奏曲をそれぞれ2曲ずつ残していますが、
前者はブラジル風バッハが、後者は3曲のチェロソナタが有名で、
協奏曲は最近になるまで未聴でした。
この二人は、20世紀の音楽における立ち位置が似てませんか。
生まれた地域。マルティヌーのチェコは、紛れもない音楽先進地域ですが、
やはり20世紀になってもドイツ=オーストリアと比べると陰になっていて、
ブラジルは言わずもがな。あと、二人とも20世紀の難しい音楽の世界において
多作で、口ずさんで歌える音楽を書き続けた。かといって調性音楽が最後まで
主流であったソ連、イギリスとも距離がある。あとは、たとえばシェーンベルク
のように新しい音楽の様式を作ったわけではない。

従来の音楽の様式の器の中に歌える曲を膨大な数作った人、という言い方を
するなら、ヴィラ=ロボスとマルティヌーとシューベルトは同じカテゴリに
入れられるように思います。シューベルトのレパートリーの形式(器)は、
大体ベートーヴェンに重なると思われます。ベートーヴェンの歌曲も数は
少ないが味わい深い。あとはソナタ、室内楽、交響曲。八重奏は依頼自体が
七重奏の模倣だし、弦楽五重奏はボッケリーニ。一つの楽章に四楽章の
内容を突っ込む幻想曲は新しそうだけど、ベートーヴェンが実質的にやってる。
即興曲などはフンメル一派の影響かと。
でも、その「器」に、紛れもないロマンの魂を注ぎ込んだことは事実であり
だからこそ器を作ったわけでもないのに名前がずっと残っているのでしょう。

こういうタイプの人は、363さんの言われるように、誤解されやすいとも
思います。マルティヌーの1番なんて出版した後も2回も改訂されているけど、
精神性(笑)を重んじる立場からは、「ラジオで自分の旧作が流れているのを
聴いたらオーケストレーションが納得いかなかったので書き直した」なんて
動機として許されるかどうか、心もとないものです。
ちなみにシューベルトについての本は、最近何冊かまとめて読んだのですが、
シューベルトが書き流すタイプの人だったとは誰も述べていませんでした。
その方面でのご心配には及ばないかと思います。