おやおや、また夫婦喧嘩のネテを提供したみたいで・・・・

<まさしく シューベルトの苦悩について 語っていたつもりだったんだけど>
そうですね、確かに彼の苦悩を語り、彼の努力のあとをたどることは、
かれの音楽を理解するうえで欠くことの出来ないことですね。
しかし、そういったことを語る中で、常に忘れてはならないことは、シューベルトは大作曲家であったということです。
それを忘れるとトンチンカンな議論になってしまいます。

最近、とあるシューベルトのホームページで『シューベルトって楽器が弾けなかったんだって、本当?』
なんて質問が出てきました。どうも中学校あたりで学校の音楽の時間にシューベルトを学ぶ課程があるらしく、
多くの子供たちが同じような疑問を持っているようです。ばかばかしい話です。
しかし、こういったことの積み重ねでシューベルトイメージというのが巨大な障壁として形成されて来たのであり、
それは現在も再生産され続けているのです。

僕のような、へそ曲がりで全てのものに対して疑問を呈するような者ではなく、発起人さんは非常に善良な方で、
ごみのような伝承を素直に信じて、それを基に論を展開されておられるだけであって、
決して上っ面をなぞっておられるのでないと、僕は保障しましょう。

で、《未完成》の理由については、ほとんど同時期に作られた《さすらい人幻想曲》の
スケルツォ的部分をお聴きいただければ、シューベルトは、仰るようなことについては充分熟達していたことが
現実の作品として実感できるのではないでしょうか。
一度、そういった観点からこの曲をお聴きいただければ幸いです。