<残された資料から考えると、本来のシューベルトの才能は、泉のごとく溢れ出る霊感をそのまま五線譜に書き写すような、
さしずめ「モーツァルト的」なタイプであったと思われます。>
こういうの、悲しいですね。
たしかに出来上がった音楽を聴くとそういう風に取れます。
モーツァルトもいっしょですねえ(笑い)。
しかし、多楽章ソナタを作るのに、どんな作曲家でも思いつきだけですらすらと書けるような人はいないと思います。
作曲をクリエイトではなくコンポウズという言う所以だと思います。
ベートーヴェンだけが苦悩の人というイメージには納得できません。ブラームスもそうですし、ブルックナーのような几帳面な作曲家は1つの作品に対して膨大な資料を残しています。
そして、失われたものも膨大にあります(それは残された資料から推測され得る)。それはベートーヴェンどころの話ではありません。
シューベルトも多くの資料は失われましたが、残されているものだけでも、彼が推敲に推敲を重ねた作曲家であることを充分うかがわせます。
たとえば、ベーレンライター版の3大ソナタの楽譜には現存する未定稿の付録がついています。
シューベルトの苦心している姿が目に見えるようです。
《ミサ曲第5番》は2年以上もかかったそうですし、そもそも《ます》のような歌でさえ4つも5つも異稿があるらしいです。
イメージとは恐ろしいですね。

ピロ子さんがテレビで言っていたように、水の上で優雅に見える白鳥も水の中では必死に動いている。
モーツァルトもシューベルトもまさにそういった感じで作曲を続けたということをまず前提として発想を膨らませるべきでしょう。