>>489-490
個人的に、音楽史において、モーツァルトと並んで語られるべき作曲家は、メンデルスゾーン、サン=サーンス、
R.シュトラウスの三人であると常々主張している(そして全く同意を得られない)のですが、
確かになんだかサロン作曲家扱いされているような雰囲気を(おもにベトブラブルマラ方面から)感じます。

舞踏音楽が起源で、長じてからも「諧謔」と名付けられてしまうと、「精神性」(笑)が入り込む余地はないのかもしれません。
あと、4楽章の間、常に緊張の糸を張り詰めていられても、向こうもこちらもやりにくいというのはあるかも。
曲の始めと終わりに気合を入れるのは当然ですし、緩徐楽章にも深い感情を盛り込みやすいとなると、どうしても
スケルツォで息抜きをしたくなるのかもしれませんw 勢いで押していくにしろ、緊張感自体を緩めてしまうにしろ。
ブラームスの1番なんか、そのような気配を感じます(作曲家のかけた手間とか集中力はまったく別の問題)。

さらに連想ゲームなのですが、
スケルツォが、本当に全体の中核をなす交響曲(あるいは多楽章の曲全般)ってあるんでしょうか?
マーラーの作品群などは、スケルツォの地位を大いに押し上げる役割は果たしましたが、やはり「中間楽章」としての
機能もまだ残っているように思います。解説本の類でもいまいち扱いが軽いですし…
少し考えたのですが、ベリオの「シンフォニア」ぐらいしか思い浮かびませんでしたw