>>895
うーん。それはどうかなあ。
当時のドビュッシーへの評価の中には、例えば練習曲について「病人が作ったわけのわからぬ音楽」などというものもある。
何をもって音楽とするかは難しい。
民族音楽には、西洋音楽のような音階システムや調性システムを持たないものも多い。
しかし彼らにとってはまぎれもなく音楽だ。
ドビュッシーが音楽として感動できるかは主観の問題でしかない。
現代音楽との間に決定的な違いがあるとしたら、崩壊を求めた崩壊か、それとも美意識を求めた先の過程としての崩壊か、ということだろう。
ドビュッシーは明らかに後者だろう。
しかし、現代音楽がすべて前者かというとそうではない。
俺の考えでは、やはり音楽というのは作曲家としての美意識の個別な違いがあるだけなんだと思うんだわ。
だから現代とクラシックを分けて考えることもないし、もっと言えばその他の音楽ジャンルも分けて考える必要などないと思う。
作曲家としての個別な創作システム以外に一体なんの違いがあるというのだ?
自分の主観だけから音楽とはなんたるもであるかを規定できる人の感覚が俺にはわからない。
俺の主観は俺の「感じかた」を規定するが、決して「音楽」を規定しない。
というかできない。
できるわけがない。