ベートーヴェンの第五交響曲で、素材が転調・展開によって
大きく様相を変える、というのは古典主義音楽の枠内での話。
その枠を取っ払えば、転調しても三和音は三和音、
管弦楽編成も古典的な二管、同じような響きの連続だろ。

ラッヘンマンと比べなくて良い、ワーグナーやらマーラーやら、
あるいはドビュッシーやらラヴェルやらと比べれば、
「同じような音ばかりで退屈だ」とか「響きがそもそも地味だ」とか
言い出すガキはいくらでも出て来るだろう。

実際、刺激的な音響の洪水に慣れている現在の子供が、
ベートーヴェンの音楽の中で「素材が大きく様相を変えている」
ことに気づくのには、ある程度訓練が必要になる。

(そう言えば、昔付き合っていた、クラシック・ファンではない女の子に
 ジョン・ケージのプレペアード・ピアノのためのソナタとインターリュードを
 聞かせたら、面白がって最後まで聞いていたが、バッハのゴルトベルク変奏曲を
 グールドのピアノで聞かせたら早々に寝てしまった)(笑)

どうでもよいが、ラッヘンマンのマッチ売りの少女の東京公演は、
俺にとっては現在のところ「生涯で最も感動した」演奏会だ(笑)。
アンサンブル・モデルンのムーヴマンにも感動したけどね。