チャイコフスキィの悲愴を聴いているんだけど、
カラヤンの五回目のは、最高だと思っていた。
ただ、第2楽章は175の指摘するように、確かに良いことはいいんだが
オケのパーツを埋没させて、作曲家の意思よりも指揮者の意思を優先してるところがあるんじゃないか。
大物演歌歌手がマイクを小指一本立てながら、こぶしをきかせこれでもかって、
押しまくる感覚があるような気がする。
やっぱり、ムーティはオペラなんだな。
すべてのオケのパーツの息づかいってものを大事にしている。