こういう話をする時に、人それぞれ、ドヴォルザークのどの時期のどのジャンルの音楽を
念頭に置いているかによって、意見が異なるということもあるのではなかろうかいでしょうか。

例えば、新世界や、イギリス、アメリカ、チェロ協奏曲しか知らない人にとっては
ドヴォルザークの音楽は親しみやすく、悪く言えば通俗的だという評価はあながち
不当なものではないと思えるかも知れません。
しかし、初期の室内楽や交響曲を聴いている人にとっては、全く的外れな評価だと思える。
さらに、後期の弦楽四重奏で聞かれるような、どこか懐かしいが抽象的なメロディーを
知っている人間は、一面的で皮相的な評価に過ぎないと考えるでしょう。

他の作曲家との比較で言えば、
ドヴォルザークとモーツァルトが共にオペラ作曲家であったが、
シューベルトはそうではなかった、というのは決して偶然ではありません。

アリアと歌曲は同じ「歌」ではあっても、全く性質の異なるものであって、
感情の客観的表現と主観的な表出とは別の歌作りの才能が必要である、
ということを考えなければなりません。シューベルトは物語詩の劇的表現にしても
オペラ的ではありませんでした。彼は詩的表現に卓越した天才を発揮しましたが、
モーツァルトのようにキャラクターを音楽によって性格付けたり、操縦したりするというような
オペラの作曲に必要な才能を多くはもっていなかったように思われます。

「悲しくない音楽は知らない」と言った彼の音楽はあくまで人間臭く、モーツァルトの音楽のように
人間の感情や気分とは遠く離れた、極度に冷徹で抽象的なメロディーとは全く別な美しさをもっています。

その点で、ドヴォルザークはモーツァルトほど「非人間的」ではなかったが、
通俗的に思われているほど「人間的」でもなく、むしろモーツァルトにより近かった
とわたしは考えますが、これは特に弦楽四重奏曲において、初期から後期まで通じて
顕著に表れているのではないかと思います。