ドヴォの民族的な音楽への関心は初期のスラヴ舞曲集からある訳で、それを古典的なソナタ形式にも
浸透させていく過程で彼に一種「弾けた」時期があるのは確かで、興味深いところではあるが、
断絶といえるような特別なことをやり始めた訳ではなく、その価値は両者を非常に高いレベルで
融合させているところにあると思われます。で、それの先駆者はスメタナはもちろん、
ブラームスやシューベルトでもハンガリー的な要素が古典形式の中にも多々持ち込まれています。

62氏が地理的なことを言ったのは、ロシアがチェコよりドイツより遠いという「バカ」でも分かることを言ったの
ではなく、端的に言えばウィーンよりプラハのほうがドイツに近い、という事情を示唆したのだろう。
だから、ウィーン生まれのシューベルトがハンガリー的な音感を即興曲やらソナタの舞曲楽章に取り入れている
のはごく自然なことだったということ。