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「夢遊病の女」をバルトリが歌うというのは初耳です。
もっとも、「マリーア・(マリブラン)」で、最後のアリアを歌い始めた時、
まさか、と思ったので、あれは意思表示だったのでしょう。
フローレスが共演というのは、たいへん豪華で、完璧だとはおもいますが、
肝心のタイトルロールが、声域に問題があります。
最後のカバレッタは、高音CやEは、完全に避けられていて、
一種の欲求不満をおぼえましたが、ふりかえって、デセーの盤を聴いても
高音が得意なはずなのに、ほとんど出していません。ということは、
原典主義の今日は、オリジナルがそうなっていると考えるほうがむしろ自然ですね。
それから、デセーの「マノン」は聴いてみたいです。
マスネーの曲は、当然ロマン派の曲になりますが、なぜか、高音を得意としている
歌手たちがうたっても、違和感がありません。
意外なところではグルベローヴァの「マノン」は、これがいつもの彼女の歌か、
と不審になるくらい、情感に満ち、フランス語の会話の部分も完璧でした。
デセーとグルベローヴァは多分に共通した部分があり、ふたりとも、コロラトゥーラの妙技を聴かせるだけのアルバムを出していますしね。
ほとんど、同じプログラムで、いつもプロッホの「恋人よ、帰れ」みたいな
題名の曲がはいっています。マリア・カラスもこの曲にはご執心で、
セラフィンから、「あんな屑みたいな曲は歌ってはいけない」とたしなめられたと
聞いていますが、技だけで勝負するという点ではある意味純粋な曲ですね。
すみません、最後の1行は冗談のつもりです。