>>457

浅草オペラに詳しい劇作家・清島利典(としすけ)さんによると、
浅草オペラが本格的な舞台だったことは語り継がれていたが、大正末期になると、
芝居に踊りを付け足しただけの舞台までもがオペラの看板を掲げるようになったため、
浅草オペラも大衆芸能に過ぎなかったとの誤解が広がったという。

清島さんは「今回の資料は、欧米並みの構成で、
質の高い作品が浅草で上演されていたことを裏付けるもの」と話している。

日本初のオペラは明治末期の1911年、帝国劇場で上演された。イタリア人音楽家を招いて
オペラ歌手を養成するなどして日本に定着させようとしたが、
当時の富裕層からは見向きもされず、客入りが悪いことから撤退。
行き場を失った役者たちが流れ着いた先で人気を博したのが、浅草オペラだった。

中野研究員は「政財界を挙げて提供しようとした高尚な文化を、素直に受け入れたのが大衆だったというところが面白い。
大衆こそが、貪欲(どんよく)に新しいものを吸収する感性を持ち合わせていたのだろう」と分析している。

(2008年5月9日14時59分 読売新聞)

ttp://www.yomiuri.co.jp/photo/20080509-2359513-1-L.jpg
作曲家の遺族宅から発見された浅草オペラの資料(早稲田大学演劇博物館で)
ttp://www.yomiuri.co.jp/photo/20080509-2359522-1-L.jpg
浅草オペラの役者たち(1920年撮影、台東区立下町風俗資料館所蔵)