リストは音楽家ではなく、サーカスか曲芸を披露する大道芸人である。
 皿回しやジャグリングが上手いから、音楽に無知な大衆は拍手喝さいをおくるのである。
 技巧が邪魔して、うるさくて、肝心の音楽が聞こえてこないのだ。
 ショパンやシューマンは、どの曲を聴いてもちゃんと音楽に聴こえてくる、一流の音楽家である。
 ちなみに「超」一流の作曲家はモーツァルトやバッハである。
 あくまでリストは二流、三流にすぎない。テクニックを見せるために曲をつくった安っぽい芸人にすぎない。
 音楽とは精神活動であり、テクニックを売り物にするものではない。
 リストなんて一度聴けば十分であって、ショパンやシューマンのように何度も聴きたいとは思わない。
 政治家にも、政治家ではなく唾棄すべき政治屋がいるが、リストは音楽家ではなく、ただの音楽屋にすぎない。リストがサーカスや曲芸であるひとつの証拠に、
ランランみたいな中国雑技団のメンバーが弾きたがるわけである。
聴衆のほうも、よい音楽を期待しているというより、
サーカスや曲芸を見に来ているという印象である。
音楽に対する拍手というよりも、大道芸に対する拍手である。 リストを擁護すると、ものには例外がつきものである、というところ。
『愛の夢』はショパンのような詩情豊かな音楽性あふれるすばらしい
名曲である。ショパンのような叙情性、精神性があって、技術に
偏っていない。また、『アッシジの聖フランチェスコ』では、バッハの
ように、宗教性、芸術性が感じられ、高い精神性が感じられる。
こういった、精神の追求がなされて、はじめて音楽だといえるのだ。
技巧に偏ると、芸術を貶めることにもなりかねないので注意すべき。