1870年代前半にクララ・シューマンとブラームスにピアノを教わった女流ピアニストが
1881年にベルリンで二番協奏曲の自作自演を聴く機会があって、
彼女によると1870年代に比べてブラームスは相当腕を落としていて、
ハンス・フォン・ビューロー(同じコンサートで一番の方を弾いた)が弾いた方が
上手くいっただろうと回想している。
1870代後半から作曲の方により重点を置いていったのだろう。

世の中で言われてる「ブラームスはあまり上手くない」説(例えば>>408)は1880年代以降の演奏会の感想
なのじゃないかな。 「充分に練習して指を柔らかくしておかなかった」というのは
彼女の「フォルテシモは柔軟さを欠いていた」の感想と符合する。