團伊玖磨 芥川也寸志 黛敏郎 第9便
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0180名無しの笛の踊り
2008/06/24(火) 10:23:09ID:9fgYxzlx2006.5.31.水曜 晴 町田
しかし、先日、五月七日に聴いた日本人先輩作曲家、故A氏の曲もこうなるとどうしても黙していられなくなる。
旧ソ連の作曲家、S.P.の曲に余りに似ている、というより、なぞりが見え見えである。知らずに似てしまったというのとは違う。
あの当時、日本の作曲界はまだ未熟であったため、先進国の作品に似たものは珍しくなかった。自分たちも、
そっくりさんのフレーズを作ってしまったものだ。しかし、似ていることが恥ずかしく、その後の部分は出来るだけ違うように工夫したものだ。
これは当り前だろう。しかし、先日のA作品はそうではない。特定の曲の特定の部分の酷似で始まり、その後も延々と酷似のまま続くのである。
途中で気がつけば、という対応の跡がまったくない。つまり、承知の上で続けている。
冒頭、8分音符のリズムに乗ってクラリネットが風変わりな旋律を奏でる出だしがそのまま。自分なら、せめて、
楽器を替えるとかしていささかなりともごまかそうとしたろうに。むしろ、そうしないことが「犯意」がなかった証しになるのだろうか。
そうとも思えない。まだ、この曲が日本でよく知られていないことを前提として、ぬけぬけと、そのまま、をやったとしか思えない。
S.P.の第五Symphonyの第二楽章である。そして、曲の最後は、同一原曲の第四楽章の末尾、つまり、全曲の末尾の八小節前後から借りた。
ここまで、「原典」が分ると喜劇的ですらあるが、何かしら悲惨な感があった。情けない例だが、
北朝鮮がアメリカ製煙草の贋物を作って財源にしているとの同じみじめさである。あの当時は、そういう時代だったでは弁護しきれるものではない。
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