二流指揮者ベームを今こそきちっと葬るスレ
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0588名無しの笛の踊り
2008/06/02(月) 01:51:42ID:LUFQlSff>カラヤンは、ベートーベンの心情を「理解は出来るが、納得は出来ない」
なぜ、カラヤンは心情を納得できないと言えるの?
>フルヴェンは、彼の心情を「理解も納得も出来る」状態にまで押し上げてるという事だ
なぜ、押し上げていると君は理解したの?
>ベートーベンの第九に涙するのはなぜだろう?
この曲に涙したことはないな。
>それは技術的な側面よりも、感情的に内から溢れ出てくるものがあるからではないだろうか?
「感情的に内からあふれ出てくるもの」がカラヤンにはない、と
判断できる根拠は?
>完璧さを求める演奏もあれば、演出に凝った演奏もある、ベートーベンなら彼の男性的な魅力を引き出してくれる演奏もある
>ミスタッチが多くても感動出来る演奏もある
おれもね。ミスタッチが多い演奏、オケでもアンサンブルに多少の乱れが
ある演奏を否定はしないし、むしろそういった過去の演奏にシンパシーを
感じる人間なんだよ。
ただ、その面白みを「精神性」なんて曖昧な言葉で満足して
悦に入る態度は軽蔑しているだけでね。
俺なら次のようにいう。作品が本来もっている、潜在性・可能性は、
カラヤンのような合奏の完璧さ、響きの壮麗さや官能性でもってだけでは
汲みつくせないケースも多々あるのではないか? と。
ある批評家は、カラヤンのブラ1に魅力がないのを、精神性なんて言葉を
使わずに(だってカラヤンには「モダニストとしての精神性」と「洗練を
美徳とする美学」が十分備わっているから)、「カラヤンにはアイデアがない」
スコアから、新しい何かを発見するアイデアがない、という。
こちらの方がしっくりくるな。 ただしカラヤンのやり方がしっくりくる
音楽もたくさんあるとも思う。
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