>>575
クレンペラーの音楽作りの源が表現主義にある、
というのは、ちょっと突っ込んだクレンペラー論では
(賛成するか否かはひとまず措いて)必ずといって良いほど
触れられる説なんだけど、日本には表現主義が入ってこなかったから、
あんまりピンと来ない話かもしれないな。

> 音楽でいう新即物主義は、客観性賛美、ようするに楽譜と演奏技術賛美
> という方向とつながりのあるものを総称する傾向があるし
そのくくりは大雑把にすぎるんじゃないの、っつーのが>>570を書いた理由。

新即物主義の音楽家と言えば、何と言ってもヒンデミット(1895-1963)、
理想を目指した高揚だの陶酔だの熱狂だのに根本的に不信感を持っていて、
「ざっくばらんに本音で行きましょうや」っつーのが新即物主義の基本姿勢。

ベームはヒンデミットとは交流がなかったようだが、
リハーサルで「高邁な演説」など一切行わず、ひたすらがみがみ
技術上の難点をあげつらうベームやセルのやり方は新即物主義の典型、
とおいらは思う(まあ、チラシの裏、と思ってくれ)(笑)

このスレでも吉田翁のベーム論に何度か触れるレスがあったけど、
吉田翁が「ベームの不思議」と言いながら、
「何か足りないものがあるのではないか」とむにゃむにゃ言ってはるのは、
ベームを新即物主義の音楽家と見ると「足りないもの」ではなく、
まさにそれがベームの個性ではないかと思えるのだが。