1939年が「安全など当たり前」とはね。
ウィーンがドイツより酷かったのは知ってると思うんだけど。
記録として残っているものの中でいちばん初めのものは1938年3月13日、
警察による財産没収と、ユダヤへの暴力と略奪が日常化している。
1938年5月20日、ニュルンベルク法により、
ドイツ本国では認められていた「混血ユダヤ」の国民権がなくなった。
ヒトラーがヘルデンプラッツで演説して2日もたたず、
地位の高い実業家が殺されている。個人商店も破壊された。
時には命さえなくしてしまう搾取が横行していた。

確かに「絶滅収容所」は1942年だ。
だが「強制収容所」は存在していた。
違いは殺戮の方法がガス室などに効率化しただけで、
生きて出られないことに変わりはない。

1938年11月9日に起きた水晶の夜、殺されずに済み、
逮捕されたユダヤ人は強制収容所送りになっている。