例えばドリア旋法だったら、
「なんかいいな」くらいの雰囲気は確保されているわけ
作曲家はその雰囲気に自ら溺れて、
鼻歌みたいにメロディを書けばいいわけだ
なんだってかまわない
雰囲気が重要だっていう聴衆はおんなじように溺れてくれるからね

これは音楽理論とかのハナシではまったくない
書くほうも聞くほうも自覚が必要
自分のやっていること、感じていることを、
もっと鏡でよく見ろよ、ということだ