小澤のチャイコフスキーの録音はホントに統一性が無いね。
いろいろ理由はあるんだろうけどさ。
エラートがボストンと全集の録音を予定しながら1986年録音の悲愴のみで終わり。
これはドイツグラモフォンの横槍が入ったからでしょう。
当時小澤もベルリンの後継候補の一人だったから小澤とベルリンで
チャイコフスキー後期三大交響曲集とプロコフィエフの全集を企画。
チャイコフスキーの4番が1988年に、5番が1989年に録音されるも悲愴は録音されず。
これは湾岸戦争の影響や小澤の病気による演奏会キャンセルが重なったから。
プロコフィエフはなんとか全曲の録音完成。
他にも同時期にベルリンではアバドとブラームス全集、レヴァインとメンデルスゾーン等を録音。
そうこうしている間にサイトウキネンフェスティバルが創設され、
1994年にチャイコフスキーの4番、1995年には悲愴が演奏会にあわせて
フィリップスに録音される。しかし5番は先日亡くなったスラヴァが
サイトウキネンとの演奏会で取り上げたから小澤はやらないのかな?
今からでもベルリンと悲愴をグラモフォンに録音してほしいけど
サイトウキネンで録音した曲を他のオケで録音するとは考えにくい・・・
俺は小澤ファンだけど録音面でもサイトウキネンにこだわっているとしたらは不満。
ファンは世界の小澤でいてほしいの。
ベルリンやウィーンとも交響曲や管弦楽曲を録音してほしい。