作曲という作業は、自分の持ってる内面の複雑さを、
一直線にあふれさせるばかりでなく、デフォルメしたり、装ったり、
時には今はやりの自分探しに使ったりできるんだろうな。
出来上がるまでにもまず時間がかかる。
だから、ものすごく深刻な面も、軽い面も出し易いのかもしれない。
ショスタコさんは特にその振幅が大きいように思う。

一方、演奏という作業は一瞬一瞬が勝負だし、基本的に「ふざける」っていうのが
許されない。
中でも指揮者っていうのは、一流になれば前に立っただけでオケの音色が変わるっていわれるぐらいで、
あんまりコロコロ音楽を変えるわけにもいかないもんだろう。

どうも、ショスタコーヴィッチの交響曲全部を納得させ得る指揮者というのは、
存在しにくいような気がしてきた。

ところでここのスレでも、交響曲の第九番や第十五番が一番好きだという人は、
いないのかしら?