倒産前、正職員の給与は6万だった。絶えず銀行からの借り入れ金が3千
万を超えて、しかし博士の母(70過ぎの老婆で自宅にこもる)は会社役員
として40万が支払われていた。結局、当時の経営陣が「小豆相場」に手を出し
(中学生でも解る危ないギャンブル)倒産。しかし、博士は「自分は経営には
一切関与していない。土地と建物を取られた分、経営陣に責任を賄ってもらう」
と、一切の自己責任を取らず、逃げまわる。
その後、横浜に学校法人として新設立。これで倒産は最悪の事態免れる事が出切る。
しかし一向に経営は難しく、借り入れは続き、職員の使命は「生徒への楽器販売に
よるマージン」に縋るしかなく、売らない職員は人間扱いされない。
さらに博士は経営幹部陣に圧力をかけ、職員の低賃金にも構わず自伝などを発刊。
90年代中頃、倒産時より博士に忠誠を尽くしていた幹部松○氏はその圧力に耐え
切れず、当時の学生達と飲酒、ウイスキー数本を飲む泥酔状態で車を運転。
真冬の横浜ベイ・ブリッジから横浜湾に転落の怪死を遂げる。
博士の非人道的な行為(実際博士ではない)は、これだけでは留まらない。
全て真実である。