例えば光子さんとエッシェンバッハのK332の第一楽章を聞き比べてごらん。

エッシェンバッハの演奏は微笑んでいるのに、光子さんは神妙な顔つきなのがすぐわかると思う。
彼は思い切り歌っているけれど、彼女は内面を見つめているようだ。

どちらがいいかは好みだけれど、エッシェンバッハの歌心は「見かけによらず」豊かだと思うよ。

異なる演奏家はその違いを、面白いなぁ、と思って聞き分け、味わうのがいいのであり、
それを存分に許してくれるのがモーツァルトじゃないかな。

ついでに言うと、ピレスの同曲は、ひとつの楽章の中に様々気分が聴けて華やかだ。
これをけなすなら、聴き手はどきどきしてしまって落ち着かない、と言う言い方もできるだろうね。