モーツアルトを語るときに「歴史的な意義」から入っていく人。
ベートーヴェンに与えた影響がどれくらいかとかミヒャエルハイドンと
比べてどうかとか。
それを肯定するにせよ否定するにせよ、そういう見方ってのは
音楽を片側からしか見ていないと思う。ちょうど、シェーンベルクは
支持するがコルンゴルトが支持できない人の発想と同じ。

何か共通かというと、音楽の構造や歴史性ばかりを重要視する挙げ句、
音楽を奏でることによって「手が喜ぶ」という肉感的な部分を忘れている
というところ。コルンゴルトの曲は弾いてて楽しい。
モーツアルトも楽しい。たとえばK310のソナタの三楽章なんて
肉体の運動として弾いてて楽しいじゃない。チェルニーよりも。
モーツアルトの持っているこういう側面を嫌らしいくらい強調した
のがグールドの演奏だと思うんだが、これを聞いているとブラームスが
愛したのもモーツアルトのこういう側面なのではないかと思われてくる。