精神性は単なる人工物だから、バーチャルなものに過ぎない。頼朝ではない、と言われた瞬間、絵の精神性は崩壊し、歴史的絵画からチラシの紙になる。
抽象化した数学やクラシック音楽や人間の感情では、こうした間違いはない。
基本的に作者個人の主張ではなく、人間の感情だから教わることはできないし、自分のことだからウソもつけない。理解力も表現力も自分でつけるしかない。
駄演奏・駄曲や誠実でない感情から、ウソをつくことはできるけれど、それも結局は理解されない。
いい演奏と悪い演奏の差は、音楽上でこのウソをついているか、いないか、の差。感情に忠実であれば名作、そうでなければ駄作。

頼朝と尊氏の肖像画は今後一切載らなくなるが、万一月光や熱情がベトの作品ではなかったことが判明しても、
多分、演奏回数が極端に減ることはないと思う。これがクラシック音楽の絶対性、普遍性、非芸術性。つまり非精神性。
それぞれの音楽が絶対であると同時に、音楽同士には全く関連性はない。過去の他人の作品もあくまでヒント。決して歴史の流れでできたものではない。